Vol.181 04年2月21日 週刊あんばい一本勝負 No.177


本の衣装替え

 本の流通には普通の商品流通と大きく違う点があります。返品です。書店に並んだ本が汚くなったり、商機を終えたと判断されたりしたときに返品されます。本は返品できる、という商習慣が日本で始まったのは大正時代ですが、これが出版社にとってはメリット、デメリットがある流通システムとなっています。このほかに「再販制」といって簡単に言えば、定価販売を義務付けたシステムもあり本の流通はきわめて複雑で封建的なシステムになっています。ここではそのシステムの説明をしようということではなく、返品に伴う作業のひとつをご紹介します。

わき目も振らずすすむカバー替え作業
 無明舎出版は東京などの大手出版社と違う、独自の流通システムをとっているため返品率は低いほうですが、それでも時々取り次ぎ(問屋)さんから段ボール箱でどーんと返品が届きます。戻ってきた本のうち1〜2割くらいはカバーが傷んでいたり、帯がなかったりしてそのままでは商品にならないものが混じっています。その本を再出荷させるには、カバーや帯を替えて新品同様にしなければならないので、ためておいてアルバイトの人たちに一挙に作業をやってもらいます。2月末は棚卸があるため、その準備を兼ねて事務所の2階ではカバー替え作業の真っ最中です。いつも来てもらうベテランのおばさんたちの手によって、本が見違えるようにきれいになってゆくのを見るのは気持ちのいいものです。
(鐙)

香月泰男の世界

 シベリアシリーズで有名な洋画家・香月泰男は没後30年に当たるようで書店でも彼の画集を平積みしているところが多い。買うかどうか迷ったがけっきょく買わなかったのだが、散歩の途中、偶然に「香月泰男展」が東京駅ステーションギャラリーで開催中なのに遭遇。
 打ちのめされそうな予感があったのでためらいもあったが意を決してはいると、その重厚さ、画布からもれるうめき声、深い情念を感じさせる色使いに、全身なすがまま打たれっぱなし。なにげない自然や暮らしの道具、鳥や草木が、彼の手にかかると、ただならぬものに変身するのだから身震いする。驚いたのは「火箸」を描いた絵。正真正銘ただの2本の鉄の棒を画面上部に一筆書きのように描いただけなのだが、鉄の存在感だけでなく、そのぬくもりや使う人間の愛情までが2本の黒い棒に表現されている。この人の絵は画集で見ても感動するが、やはり生で見ると迫力がまるで違う。塗りこめられ凹凸のあるキャンパスに顔を近づけ、その息ぶきを感じるだけで、生で見てよかったと感じさせる不思議な魅力がある。展覧会の会期は3月28日まで。
(あ)

このチラシの2枚の絵が代表作

春が近づいてきた

 北国秋田にもようやく春のきざしが見えてきました。2月19日は二十四節気でいえば「雨水(うすい)」。今まで降っていた雪が雨に変わるという意味で、積もった雪や氷もこのころから解け始めるそうです。ここ数日の秋田はまさに「雨水」で、道路の雪も急になくなり始め、除雪が行き届かなかったり、家が建て込んでいて日が差さなかったりした細い小路を除くと、ほとんどの道路の雪は消えました。車が多く走る広い道路は乾いて埃が舞っているほどです。
 無明舎の前にある田んぼや庭はまだまだ真白ですが、確実に雪の量は少なくなってきているのが分かります。近所のおじいさんはこの日を待ちわびていたかのように、鉄の棒を持ち出して家の前の氷割りを始めました。この氷割りは真冬にはいくらやっても無駄なのですが、春が近づいてくると一日でも早く家の前から雪や氷をなくそうと始める家が多く、あちこちで見かける風物詩です。もちろんこのまま春になるということはなく、もう何回か雪が降るでしょうが、確実に春はそこまで来ています。
(鐙)

昼休みに会社の横の雪をどける岩城。
背後の田んぼはまだ真っ白です

今週の花

 今週の花は、黄色いスイートピー、キンセンカ、アリウムのコワニー、そしてスプレーカーネーションは赤と紫の2色。紫のカーネーションはサントリーが研究を進めていて、ムーンダストというシリーズを作り出しました。濃くて深い色合いの紫です。以前は「完全に青いバラ」をつくるプロジェクトまであったようです。自然界にありえない花をつくりだすまでもなく、そのままで十分楽しめると思うのですが。そもそもカーネーションはゼウスに捧げるための花といわれ、バラと共に美しい花の代表でした。現代は母の日の花として知られています。この習慣はアメリカで生まれました。ある町の子供たちが、自分たちのために尽くしてくれたボランティアの女性を偲び、カーネーションを捧げたことが始まりです。どの花にも歴史や伝説があります。驚いたり笑えたり、共感したりしなかったりと様々なエピソードですが、違った目で見ることができるようになるのでやめられません。
(富)

No.177

伏流の思考(石風社)
福元満冶

 福岡にある小さな出版社の社主が、アフガニスタンで活動する一人の医師に伴走した15年間の記録である。言葉がしっかり地に付いている腰の重い文章なので、そのリズムに身を任せて読み進めることができる。何度か行きつ戻りつ、読み返し、新たな発見に驚き、目から鱗の事実に傍線を引き、デタラメに開いたページから読み始め、詩集のように読める記録という不思議な印象の本である。時間をかけて、定位置より少し後ろから書かれた文章なので、過去や政治の話をしてもフレッシュな言葉の輝きが保たれている。著者らが活動してきたペシャワールの会は、あの9・11で突然国際政治の最前線に立たされてしまったNGOだが、「会議やシンポに重きをおかず、ネットワークという言葉に眉に唾し、マスメディアを鵜呑みせず、お上とも不必要なけんかはしない。モットーは天邪鬼的で、大勢が出かけるところには誰かが行くので行かないし、誰も行きたがらないところには困難でも押しかけていく」組織である。出版社の若い編集者にこの本を読んで欲しいと切実に思う。

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