Vol.182 04年2月28日 週刊あんばい一本勝負 No.178


もうすっかり春…かな

 季節の移り変わりは、面前に定点観測できる田んぼがあるので、いつもその風景から判断しています。この光景だけを見れば、もうすっかり春ですね。でもそれは見かけだけ。外を吹く風は冷たく、残った道端の雪も朝夕はカチンコチンに固まっています。雪国の春は見かけで判断できないところが辛いところです。2月中、体調を崩してほとんど事務所と家で逼塞していたのですが、日差しだけでも春めいくると心は浮き立ちます。

雪が消え春めいてきた田んぼ
 冬から春の移り目だけは、こっちに住んでいる人間にとって単なる「歳時記」というより「お祭り・行事」にちかいお祝い感覚になってしまいます。雪というのはそれほど厳しいもんです。東京事務所に度々出張するようになってそのことを痛感しました。冬が終わりかけ、土はだがあらわになり、所々に雪が残る光景は、何十年生きていても、新鮮な温かみを感じますし、元気もでます。
(あ)

鈴木元彦さんを悼む

 「生涯一農業改良普及員」を名乗り続けた元生涯教育学習センター所長の鈴木元彦さんが亡くなった。67歳、前立腺がんだった。元彦さんは昭和34年から農業改良普及員を務め、県営農業大学校副校長、生涯学習センター所長を経て平成9年退職。農業、民俗、詩の著書を多数もち、小舎でも『「むら表現」秋田考』と『わが北の野の農村大学在学詩』の2冊の本を書いてもらっている。

鈴木さんの2冊の本
 本は2冊しか出してもらっていないのだが、個人的な付き合いは長く、よく一緒に大好きなお酒をご一緒したし、センター長のときは何度か講師に呼んでもらった。元彦さんの「どぶろく」や「農家の舞台裏」「艶笑」話しは無類に面白く、豪放磊落なひとなつっこい性格もあって、ときに無性に話が聞きたくなり、訳もなく会いに行きたくなる人だった。著者と個人的な付き合いをほとんどしない私には、例外的な尊敬できる先輩だった。60代の死というのはいかにもはやすぎた。お役所づとめを終え、これからライフワークの著述業に本格的に入ろうとする時期だったのではないのだろうか。ご冥福を祈りたい。
(あ)

「食」に圧倒されました

 先週末仙台に行ったついでに、キリンビールの仙台工場で開かれていた篠山紀信の「食」写真展を見てきました。1992年に潮出版社から出版された「食」という写真集から抜粋したもので、1.2M×1.6Mの大型パネルに引き伸ばしたカラー写真78枚が大きなホールに展示されていました。「食」という名のとおり食材や料理を大型カメラ、おそらく8×10という1枚が週刊誌サイズのフィルムで撮影したと思われる大迫力写真です。肉眼で見るよりさらに細部まで鮮明に印画紙上に再現されていて、自分が持っていた「食」のイメージとは違う一面を見せ付けられた思いで、圧倒されてしまいました。

調理を担当したのは東京や京
都にある一流料理店ばかりだ
 大型パネルに少しきつめの色合いで再現された「食」は、中華料理やフランス料理ではなくすべて日本食です。撮影したのは今から15年ほど前でバブルが崩壊した頃ですが、日本料理の世界は表面上はこの15年間に大きな変化をしたようにも見えます。テレビの料理対決番組や派手な和食の世界がもてはやされ、若い女性たちのガイドブック片手の食べ歩きが当たり前になりました。しかしこのパネル上にある「食」は違います。日本料理の基本的な姿を真正面から再現した真摯なものです。もしかしたら撮影した当時より15年後の今のほうが、このパネルも持つ意味合いが深くなっているのではないでしょうか。会場にいた解説の人が「篠山さんはこの写真を見て気持ちが悪い、と思ったらどこか身体の調子が悪い人ですね」と話していたと教えてくれましたが、幸い私は気持ち悪くなるどころか、どれも食べたくてしょうがありませんでした。この「食」写真展は3月7日まで仙台工場、3月11日から4月20日まで横浜工場などで巡回展が開かれます。
(鐙)

No.178

養安先生、呼ばれ!(恒文社21)
西木正明

 江戸から遠く離れた羽州の辺境にあった院内銀山。そこに生きた門屋養安という実在の医師の物語である。院内銀山は幕末期まで隆盛を誇った久保田藩直轄の鉱山で、その地で80を超えるまで生きた養安の克明な日記を元に着想されている。さすが、帯文の謳う様に「練達の筆致」で当時の辺境の村の暮らしや風俗をみごとに活写しているが、肝心の主人公・養安先生の像が、今ひとつうまく結ばない。生涯に四人も妻を娶り、酒好きで、趣味人。銀山のお抱え医師なのに、銀山経営にも関わり、そしてこれが一番よくわからないのだが宿屋まで経営している。このよくわからない男に決定的な意味を与えるのが種痘術なのだが、日本ではじめて秋田でおこなわれた種痘術というのに、このハイライトの場面にほとんど迫力がない。これは著者の力量ではなくノンフィクションとしての記録がほとんどないため、著者にも書きようがなかったのだろう。褒めたいのにネタがまるでない感じである。最後までこの主人公に感情移入できない恨みはあるが、明治維新や戊辰戦争がおきたときの雪国の村の様子は、この小説がはじめて描き出したもので興奮するし、方言の表記もこれ以上のものを探すとなると大変だ。なお題名の「呼ばれ!」というのは「呼んでこい!」という命令形の方言である。

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