Vol.206 04年8月14日 週刊あんばい一本勝負 No.202


お盆休みは12日から16日まで

 今年のお盆休みは12日から16日までです。いま、ちょうどあるプロジェクト(本を出す仕事ではない)にかかりきりで、12日夜遅くまで皆仕事をしていたのですが、相手側も休みに入るこのお盆期間は約束通りの休み、ということになります。安倍は秋から単行本ラッシュが続く予定なので、その準備のためお盆中はほとんど事務所で仕事をしています。春先から夏まで目いっぱい、本は売れず、出版ペースもガクンと落ちていましたが、秋からは挽回できそうです。変則的になりますが安倍は8月下旬から10日間ほど夏休みをとる予定。休み先でも原稿の受け渡し、打ち合わせ、親しい人との飲み会などの予定がびっしり入っているので、完全休養とは行きませんが、まあこれもいつものこと。
 「遊び」と「休養」と「仕事」がほとんどあいまいなボーダーでしか区切られていない暮らしを三十年以上続けてきたので、いまさら愚痴を言ってもしょうがありません。人が休む時に休まないというのも筋金入りの偏屈ですが、単なる人と違ったことをしていたいという幼児性ですのでご海容を。ですからもちろんオリンピックなんてものも無視です。
(あ)

閑散とした事務所

これが見納め、事務所の田んぼ

 8月の猛暑の最中に「さりげなく露骨に」事務所前の田んぼのアパート新築工事が始まりました。四半世紀、この田んぼを見ながら仕事をしてきたものとして、比喩ではなく身を切られるような思いなのですが、いたし方ありません。田んぼをつぶす側にも同じような断腸の思いがあってのことですから。
 あと数ヵ月後には事務所の前にりっぱな建物が出現することになるのでしょう。そしてそこに住むことになる住人は「目の前にボロでウザい建物があるなあ」とこちらの事務所や我が家を観察することになるのでしょうか。何度も書いてきたのですが、この田んぼの存在で季節の移ろいを知り、その景観から多くの恵みをもらってきたものとして、まずは「長い間ありがとう」と田んぼの労をねぎらいたいと思います。事務所前の風景がどのように変わっていくかも、懲りずにリポートを続けます。
(あ)
ブルが3台入って工事も急ピッチ

シーカヤックで滝や洞窟巡り

 先週の日曜日、今年3回目のシーカヤック遊びを男鹿の海でやってきました。朝から真っ青な空に強烈な太陽が出ていたので、張り切って早朝に家を出て撮影の仕事を早めに終わらせ、男鹿半島の西海岸にある加茂青砂に向かいました。まだ海水浴客がそんなに来ていないうちにカヤックを海に下ろし、昼食や凍らしたペットボトルの水、防水対策を万全にしたデジカメ、釣り道具などを積み込んでいよいよ出発。加茂から南に向け漕ぎ出すとたちまち真山、本山(標高715m)の山々が海に迫る大絶壁の連続です。海面から100mほどのところを大桟橋道路が通っていて車が小さく見え、何万、何十万匹いるか分からないセミの鳴き声が強烈に響いてきます。1時間ほど漕ぐと男鹿を代表する名瀑「白糸の滝」が見えてきました。海に直接流れ落ちる滝で落差は60m。船からでないと見ることが出来ない滝です。滝の横には横幅が20mほどの小さな浜があるので、そこにカヤックを乗り付け一休みすることにしました。この浜から岩穴を潜り抜けると滝の裏側に出ることが出来ます。ここで泳いだり、弁当を食べたりしてからカヤックをその先に進めました。大きな岩で出来た橋のような「大桟橋」、「小桟橋」を潜り抜け、奥行きが20mほどもある「船 隠しの岩屋」や「孔雀ヶ窟」という洞窟に漕ぎ入り、阿治ヶ島などの島々の間を回り、門前の近くまで行ってきました。直線距離で片道4kmほどの海の旅です 帰りは微風と潮の流れに乗り、3時間ほどかけて出発地点の加茂までゆっくりと流されながら戻りました。私はその間もっぱら釣りに専念して、アジやサバ釣りです。思いがけず30センチほどのマダイも釣れ、かなりの釣果と男鹿の自然を満喫することが出来た、大満足の一日でした。
(鐙)

白糸の滝。右に見えるのが休憩した浜大桟橋

下を通るとき岩が落ちてこないかちょっと心配でした

これが私のシーカヤックです

No.202

生命の旋律(毎日新聞社)
本橋成一

 毎日新聞の「日曜くらぶ」に連載していた時から、気になって読んでいたのだが、あらためて1冊になったこの写文集を読んでいると、本橋さんがやりたかったこと、描きたかったことが鮮明に理解できる。本にするというのは抽象的な断片を形ある具象に換えること、という原点がよくわかる本である。日本各地に職人や普通に暮らす人々、消えつつある職人技、祭りや耕す人々を訪ねて切り取った写真は本橋ワールドそのものだが、本橋さんの写真は他の写真家の作品と比べてどこがどう違うのだろうか。本書を読んで(見て)、そのへんのことが気になったが、答えはすぐに見つかった。まず、本橋さんの写真は視線が被写体よりも少し低い位置から撮られている。そのため被写体の存在感にフワリとした温かみがあり、見るものを和ませてくれる。問題意識を鮮明に切りとる、といったアングルを意識的にさけているのだ。それに写真の中にいろんな意味を付与する小道具や風景をできるだけ排して、個性や役割をその人物だけで表現できるように、シンプルに構成していることだろう。本橋さんの写真集はいつも造本も装丁も時間をかけた丁寧なものが多いのだが、今回の本の装丁や造本は「あれっ」という感じ。

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