Vol.219 04年11月13日 週刊あんばい一本勝負 No.215


長野出張でりんごを食うの巻

 友人の龍鳳書房・酒井さんから依頼があり長野県出版協会の総会でお話をしてきました。久しぶりの長野ですが、最初に、最近この街に移られて出版社を興した高橋さん(元郷土出版社社長)を表敬訪問してきました。大きな病気をした後なのですがお元気そうで30年前と変わらぬ情熱でこれからの企画のことなどをお話してくれました。彼は小生とほぼ同じ時期に松本で出版社を始めた方で、小生のいいライバルです。4時半からの講演も何とかしどろもどろで終え、その後は同じホテルで懇親会。大きな銀行の広報部や印刷所や地元の新聞社のかたがたなど、地方出版というよりも地方の大企業出版部といったかたがたが多く、日ごろそういった人とほとんど接触する機会がないので緊張しました。
 翌朝、朝早くから長野市郊外の酒井さんの家の畑にお邪魔してりんごをご馳走になってきました。300坪ほどの畑にりんごやなし、桃からキウイまでさまざまなフルーツが植えられていて、土日はいつも畑仕事に忙殺されるのだそうです。うらやましい。おおぶりで色艶のいいりんご数個分けてもらい、新幹線の中で食べてきました。おいしかった。
(あ)

酒井さんのりんご畑で。隣の女性は龍鳳書房のエース・山崎さん

農業高校の収穫祭に行ってきました

 大曲農業高校太田分校の収穫祭を取材してきました。卒業生のタネ屋さんの講演もあるので、それも楽しみだったのですが突然タネ屋さんが講演途中で話を小生に振ってきたため、小生も20分ほど話をさせられる羽目になりました。講演が終わると学校農場の具材でつくったおでんとトン汁で食事。放課後には伝統芸能部のクラブ練習活動を観て来ました。とさか頭でピアスをしたお兄ちゃんが三味線や笛、太鼓を見事にこなすのには驚きましたが、踊り手の女生徒たちを見ていて、圧倒的にかわいい女の子が多いことに気がつきました。女子生徒は全校で30人ほどしかいない高校です。この30人のうちの10人はかなりの美形少女なのですから驚いてしまいます。これは数日前、山形の女子高生たちがビッグバンドのジャズを演奏する映画『スイングガールズ』を観たばかりなので、どうしても女子高生に注目してしまい、初めて気がついたことです。どの子もとても素直で好感も持てます。
(あ)
体育館での収穫祭の食事風景と郷土芸能部の練習風景

鰰塚(はたはたつか)を見に行く

 秋田の県民魚といっても差し支えない魚がハタハタです。漁期は12月なので、あと半月もしたら漁が始まることでしょう。その県民魚は25年ほど前から不漁が続き、高値で我々の口にはほとんど入らない高級魚になっていました。ところが3年間の禁漁するなどの思い切った対策で魚が増え、去年は久しぶりの豊漁でいろいろな人からハタハタをいただくほどにまで魚影は回復しました。今年はどうか漁が始まってみないと分かりませんが、去年のような大漁になって欲しいと願っています。
 さて、かつてのハタハタ大漁を教えてくれる碑が男鹿半島にいくつか残っています。供養塔となっている石には明治15年や28年、大正15年などと彫られていて、ハタハタの文字も「鰰」だったり、「雷魚」と書かれたりしているのが興味を誘います。供養等が立っている場所は天王町の出戸浜海岸や男鹿市の船越海岸です。船越海岸では砂に埋もれたり倒れたりしていたのを1か所に集め、神社のように鳥居を建てて供養していました。
 本来の場所から移動してしまったことに異論を唱える人もいるようですが、それだけ大事にされているということで、ここでは良しとしましょう。この近くには八郎潟で大漁に獲れた「ボラ」を供養した「鯔塚」や「鰡塚」もいくつかあります。ここに来るとかつての男鹿海岸や八郎潟が魚の宝庫だったことを、これらの石碑が教えてくれます。今年もハタハタが大漁になり、安くたくさん食べられるよう、私は「鰰塚」に手を合わせてきました。
(鐙)

鰰塚が5基も並んだ船越海岸

No.215

出もどり家族(光文社文庫)
ねじめ正一

 風刺の利いた辛口コラムを書く小田嶋隆が「林真理子」の軽佻浮薄さを徹底的に批判してやろうと小説を読んだら、そのレベルの高さに驚いた、というエピソードを書いていた。小説家というのは小説がすべてで、その他のエッセイや私生活はようするに「抜け殻」なのだ。本書の著者にも同じようなことを感じる。テレビに出たり、詩の朗読をしたり、エッセイを書いたりしても何の魅力も感じない。というか顔の造作もあるのだろうが良い印象はない。ところが小説を読むと、これがなかなかのものなのだ。憂鬱な年齢である50歳なった主人公が、例の阿佐ヶ谷商店街の民芸品店を舞台にとるにたらない家族騒動や愛人問題で右往左往する。きわめて保守的な「私小説」の形を取りながらも、古臭さを感じさせずに、現代の団塊の世代が共通に持っている弱さやダメさ加減がじんわりとあたたかく描かれている。後半部分の展開は少々強引過ぎるような気もするが、「こんなこともあるよなあ」というリアリティは失っていない。どこまでが本人の実体験で、どこら辺がウソ(フィクション)なのか、読後に判然とせず、「これが実話なら作者もたいへんだなあ」と読者に思い込ませる力量は、小説家の勲章なのかもしれない。

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