Vol.22 1月27日号

遅い正月休み
 神戸に個人的な友人の集まりがあり、そこで話をしてきた。時は1月17日、震災から6年目の記念日である。新神戸駅の前のホテルに泊まって2時間ほど市内を当てもなくほっつき歩いたが、地震の傷跡を見ることは出来なかった。しかし、タクシーの運転手や居酒屋のおばさんの話を聞くと、経済的後遺症がかなりひどいらしい様子が伝わってくる。特に雲助のような悪質な長距離ねらいのタクシーがはびこっていて「大阪より質が悪い」とタクシーの運転手さんが嘆いていたのが印象的だった。せっかく関西まで来たので翌日から3日間休みをとって(といっても週末なのだが)岡山、四国をまわってきた。小生は観光地にはほとんど興味がないので、岡山では吉備人出版、愛媛ではアトラス出版を訪ねてきた。吉備人出版は、鹿児島の南方新社、沖縄のボーダーインクと並んでこれからの地方の出版をリードしていく可能性を持った小生が注目している版元で、予想通り社員たちの熱気がびんびん伝わってくる。15年ほど前の小舎もこんな感じだったよなあ、とセンチメンタルな気分になってしまった。松山のアトラス出版は、アポも何もなしで突然の訪問だったが同年代の中村夫妻の歓待を受けて恐縮。休みも3日目になると何もすることがなくなったので松山空港までタクシーをとばし、東京乗り継ぎで大雪の秋田に帰ってきてしまった。早く仕事がしたくてたまらなくなったのである。どうしようもないねえ。
(安)
旅先の有名人(T)
 毎月東京を中心に必ず旅に出る。特に東京に行くとかならずと言っていいほど「有名人」に出くわす。この確率が個人的にはかなり高いような気がする。田舎ものなのでミーハー精神が旺盛で人混みに紛れている有名人でも見逃さない、という変な性癖があるのだ。そこで、まったく意味のない企画なのだが、この「週刊ニュース」で旅であった(見かけた)有名人を記録してみることにした。ほんとに無意味だねえ。さて今週の関西の旅であった有名人は……神戸のホテル内でヴィッセル神戸の永島選手とすれ違った。翌朝の新聞で彼の大活躍の記事が載っていた。ホテル内では杉良太郎の会もやっていたが本人を見ることはかなわなかった。神戸駅でアリスと一緒になり、震災のコンサートがあったのを知る。40代前後の追っかけおばさんというのも初めてみた。帰りの羽田空港の到着出口で元「広告批評」編集長の天野祐吉さんを見かけた。飛行機から降りてきた若い女性は娘さんのような雰囲気だったが、彼は独身だったっけ。
(安)
衰える企画力
 恥ずかしい話なのだが、この5年ほど企画力の衰えを感じている。同僚の鐙や持ち込み企画のレベルが高いのでどうにかごまかしてはいるが、どうにも自分自身が納得できる出版企画がひらめかない。少し楽なポジションに安住しすぎたのかな、という反省もなくはないが、ここにきてようやく出したい本の形がいろいろと像を結びはじめてきた。ここでそのアイデアを披露するわけにはいかないが、たぶんいけるだろうと言うものが5,6本、立て続けに突然天から降りてきた。しかしこれが会議を通れば忙しくなるなァ。でも、うれしい。この企画が形になりかかるプロセスの楽しさというのは編集者冥利に尽きるというか、この仕事をやっててよかったなあ、と思いたくなるほどの至福の刻である。
(安)
神田神保町で古本探し

【源空寺にある伊能忠敬の墓】
 日曜日を挟んで4日間、成田空港での見送りと取材と打ち合わせを兼ね、車で千葉、東京と回ってきました。成田は一年間オーストラリアへ留学する娘の見送り。そのあと千葉の大原という房総半島の先端にある町に住むライターの加藤貞仁さんと、これから作る北前船の本の打ち合わせ。また、同じくライターの野村祐三さんと「とうほくの漁港と魚」の打ち合わせ。その後、千葉の佐原市で制作中の本のため「伊能忠敬記念館」の撮影。最後の2日間は神保町で古本や東北関係の資料探しをしました。ときどき古本探しでここを訪れるため、めざす本がどの古書店にあるかおおよそ分かっているので無駄な動きはしないが、一軒一軒に時間がかかり目的の半分を回り、時間切れ。なんとか最終日の早朝に、上野の源空寺で伊能忠敬のお墓の撮影をすることができた。
 神保町での古本の成果はダンボール箱で3箱。珍しい古い絵葉書のスクラップアルバムや、北前船の資料が多く入手できたのが今回の収穫でした。
(鐙)
雪道で脱輪
 先日、秋田県の南部へ取材に出かけました。ちょうど全国各地で大雪となっていた日で、何度も雪で突然視界が真っ白になり、自分がどっちに進んでいるのかわからなくなるほどでした。そして間抜けなことに、山道で2度脱輪しました。1度目は浅かったため自力で脱出できましたが、2度目の側溝は深く、30分ほど試行錯誤しましたが自力での脱出は不可能でした。あきらめて助けを呼ぼうとしていた時、地元の男性3人が通りかかり、小型の除雪車で引っ張り上げてくれました。本当に感謝しています。ありがとうございました。
 あの時、車にはスコップさえ積んでいなくて、雪道を走る時の心構えができていませんでした。今は必要な道具を装備しています。もちろん、もっと慎重に運転するよう心がけています。
(富)

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