Vol.228 05年1月15日 週刊あんばい一本勝負 No.224


「奥羽永慶軍記」を復刻刊行します

 研究家や郷土史家にとっては「待望の」といって過言ではない貴重な資料本を復刻再刊することになりました。題名は『奥羽永慶軍記』です。元秋田大学教授・今村義孝先生の校註になるもので、昭和41年に当時の人物往来社から「戦国資料叢書」の1冊として刊行されたものです。長く絶版状態が続き古書価は2万円をこえていましたが、このたび新人物往来社の許諾を得、かつ96歳にしてまだかくしゃくたる今村先生の快諾も得ることができ、復刻出版の運びとなりました。
 著者は17世紀、雄勝郡横堀の戸部一カン斎正直という人で、先人の日記や古老の聞き書きから編まれた39巻の軍記物語です。戦国期の東北を知る貴重な記録なのですが、原本は存在せず国会図書館や東大史料編纂室に写本が残されています。刊行予定は2月下旬、人物往来社版は上下全2巻本でしたが、無明舎ではこれを全1巻本にあらため(46版上製箱入り・ページ数1026ページ)定価12600円で発売します。限定500部の出版になります。乞うご期待。
(あ)

これが昭和41年に発売された
『奥羽永慶軍記上下巻』

あどひと降りで春だ

 数日前、県南に行って久々の雪国気分を味わってきました。その日は秋田自動車道を使って湯沢に向かったのですが、途中の大曲付近から先が見えないほどの降雪が始まり大難儀。雪で前は見えないわ、四方全て真っ白で路面と路肩の区別がつかないわ、走る速度はせいぜい50キロ。これでも高速道路?と思うほど状態が悪く、ずいぶん早く秋田を出たのに、打ち合わせの時間に少し遅刻してしまいました。それでも無事仕事が片付き、同行のNさんと昼は久しぶりにタイ料理でも食べましょう、と隣の横手に向かいました。あえて高速道路を使わないで国道13号を走って行くと、雪のため車の流れが悪く時間がかかりましたが、久しぶりに十文字町や平鹿町醍醐付近の景色を見ることが出来、「国道を走るのもいいね」などと2人でのんびり走って行きました。
 ようやく着いた横手は湯沢を上回る1メートル以上の大雪で、見る見る雪が降り積もっていきます。目指すアジア料理の店「ポカラ」に入ると、ご主人は今まで雪投げをしていたそうで、上気した顔で、「一晩で40センチ以上積もったな。んだども、あど1回ドガッと降ればあっという間に春だ」と気分が良さそう。大雪のため出かける人も少ないようで、貸しきり状態の店でカレーやお粥を食べ、目の前で豆を挽いて淹れてくれたコーヒーをゆっくり味わうことが出来ました。
 小一時間居た店から車に戻るとさらに10センチくらい雪が積もっています。「さすが横手は降り方が違うね」などと話しながら秋田に向かいましたが、秋田自動車道は次々と降る雪に除雪が追いつかず、反対方向に向かう車線は通行止めになっていました。
(鐙)

すっぽり雪に被われたアジア料理の店「ポカラ」。この店はおすすめです

秋田自動車道と高速バス亭。何処が道路か路肩なのかさっぱり分かりません

No.224

〈女中〉イメージの家庭文化史(世界思想社)
清水美知子

 昭和30年前後の日々、我が家には女中さんがいた。学校のPTA会費すら遅滞するような不安定な会社づとめの貧乏家庭に、若い他人の女性が一緒に住んでいたのである。もう40年も前の話なのに彼女の顔かたちや声のトーンを今もはっきり脳裏に思い浮かべることができるのは、幼いながら男3人兄弟のなかに異性が紛れ込んだ、というインパクトによるものだろう。母親に女中がいた理由を訊くと「花嫁修業をしたいというので、農家から預かっただけ」ということで、給料を払って雇っていたのではなかったようだ。当然だろう、PTA会費すら遅延していた家庭だったのだから。2004年の6月、本書が刊行されたのを知り、すぐに注文したのは上記のような理由からだが、19世紀末から高度経済成長のなかで「女中」という存在が消えていくまでを資料を駆使して浮き彫りにしている。都市化が進み、家庭内の電化が目覚しく、暮らしが日本全国平準化すれば「女中」という存在が消滅するのも当然だが、1950年代まで日本の農村が貧しかったころ、都会に出たいと思っている娘にとって衣食住が保証されたうえに、都会の暮らしぶりや家事、行儀作法まで覚えられ、給料ももらえた「女中」は「もっとも安全で手近な仕事」と考えられていたのである。

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