Vol.231 05年2月5日 週刊あんばい一本勝負 No.227


20キロ歩いた長い1日

 2月1日午後1時ころ、親父が亡くなった。宮城との県境にあるターミナルケア系の病院でお昼に静かに息をひきとった。数えで88歳。小生は死亡時、東京にいた。ケータイをもっていない私の居場所がつかまらず秋田では騒ぎになったらしい。死ぬ3日前に母親を伴って父を見舞い、もう長くないのは分かっていたので東京出張にはPHSも持っていったのだが、皮肉なことにその時刻、北の丸公園内の国立公文書館で古書籍の閲覧・コピーの最中だったのである。公文書館は私物はもちろんコート、ケータイ、ペットボトルの持ち込みは厳禁である。公文書館での仕事を終え、この日の夜に友人2人と食事を予定していた銀座のレストランを散歩がてら下見にいった。そのまま神楽坂まで歩いて帰ったら、もう午後4時。そこではじめて事務所のファックスで死亡を知った。急いでアポや予約取り消しの電話やメールを数箇所に入れてから(みんな小生より先に秋田から連絡をうけ知っていた)、羽田で最終便に飛び乗り、車で秋田市から湯沢の実家に着いたのは午後11時だった。親父の死顔を見て、安堵したような母親の様子に安心もし、悲しみよりホッとした気分になると急にキャンセルした銀座のレストランのことが気になりだした。Rは最近東京で話題のレストランだ。もともと秋田・角館で天才シェフの評判高く山本益博氏らに乞われて銀座に進出した友人夫婦の店で、今回はじめて食事をするのを楽しみにしていたのだ。その夜、親父の亡骸と並んで寝たのだが、ズボンに入っていた歩数計は3万歩(約20キロ)の数字がカウントされていた。長い1日だった。
(あ)
公文書館とレストランの外観

仙台の名物男「こうごろう」さん

 仙台荒町で文房具屋さんを営む「こうごろう」さんは、仙台市民で知らない人のいない名物オジサンである。どこが有名なのか訊かれると一言では答えようがないのだが、町おこしのイベントや町内会のユニークな活性化アイデアは何度も全国表彰を受け、テレビなどにも度々登場している実力者なのである。この「こうごろう」さん、毎月1回「こうごろう新聞」というミニコミ誌を刊行している。そのミニコミ誌が創刊10周年を迎えたこともあり、そのエキスを1冊の本に編む作業を無明舎がしている最中である。まだ正式に刊行が決まったわけではないが、この間、打ち合わせに仙台のお店を訪ねてきた。「こうごろう」さんはお客の女子高生を相手に熱弁を振るっている最中で、高校生も熱心に「こうごろう」さんの話を聞いていた。なにやら絶滅危惧光景を見ている気分である。まだいくつか本にするためにクリアーしなければならない問題点があるのだが、この本は、市井の商店街の普通のおじさんが自分の商店街を愛し、その活性化のために粉骨砕身するさまがユーモラスにエネルギッシュに綴られていて、ぜひとも実現させたい企画である。
(あ)

「こうごろう」さんの店

お客さんと「こうごろう」さん

叢園賞授賞式の夜

 無明舎出版から何冊も本を出している、藤原優太郎さんが書いた『東北の峠歩き』(無明舎出版・発行)が第28回叢園賞を受賞しましたが、その授賞式が先週あったので出席してきました。叢園賞といってもあまりなじみがないと思いますので簡単に紹介いたします。この賞は秋田県にある同人誌「叢園」が主催するもので、秋田県内に住む人、もしくは秋田県出身者が対象となっています。前年の夏からその年の夏までの一年間に出版・発表された随筆、論文、歴史および民俗研究などの中から、優れたもの選出して贈られます。今回の受賞理由は「それぞれの峠について、自然だけでなく、歴史的な側面も加えて説明している。研究記録としても意義が大きく、文章も美しい」となっています。無明舎出版から出た本としては、平成10年に後藤ふゆさんが書いた「筺底拾遺」以来、6年ぶりの受賞となりました。
 授賞式には叢園の同人や関係者の方々、それに藤原さんの友人たちが大勢集まり、授賞式、その後の懇親会と和気あいあいのうちに進められました。会場には無明舎出版の著者や知り合いがたくさんいたため、あいさつ回りで大忙し。受賞した藤原さんもたくさんのお祝いの言葉や、今後の期待の声がかけられ、晴れがましい一夜となりました。岩手、宮城の県境に接した秋田県東成瀬村からも、2人の峠歩きの友人が「秘蔵酒」を持って駆けつけ、われわれと一緒に2次会まで参加しました。次に誰が無明舎から出した本で受賞するか、とても楽しみです。
(鐙)

今回の受賞対象となった本。東北の主な峠30カ所が取り上げられています。 ぜひご一読ください。

No.227

楽園に酷似した男(朝日新聞社)
岩井志摩子

 面白おかしくつくられたキャラクターなのだろうが「女流無頼派作家」といった言われ方は、本人も納得しているようで、自身の文章にも似た表現が何度も出てくる。それではどの程度の無頼かとエッセイから読み始めたのだが、随想ではよくわからない、というか、そのハチャメチャについていけなかった。ようするに「中村ウサギの文学版」なんだろう、と分かったようなフリをしていたが、どうにも気になって「私小説」である本書をひもといたのだが、これはもうめちゃくちゃおもしろかった。おもしろいというのは失礼か、すごい、といいなおしたほうがいい。文体も新鮮、男狂いのさまも、狂喜すれすれで踏みとどまり私生活を芸にする、その作家魂には恐れ入る。無頼派はだてじゃあなかった。これでは2昔前の男性無頼派作家などは、ただの見栄と虚弱精神の女ったらし、にしか思えなくなるほどだ。作品をつくるために男にのめりこんでいるのか、その狂喜を静めるために文章を書いているのか、金(仕事)と性と狂喜と家族崩壊のはざまで身もだえしながら、自分の「今」を見つめている作家の眼が行間から冷たい光をはなっている。

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