Vol.239 05年4月2日 | ![]() |
「遊学舎」は使い勝手がいい | ||
事務所から横山金足線を御所野方面に向かって3キロほど走ると、左側に赤十字病院がある。この隣にシャレた木造平屋の大きな建物が建っていて、それがなんなのか知らないでいたのだが、「遊学舎」という県の文化施設だった。県民であれば誰でも気軽に部屋を借りることができ、フリースペースも多くあり、サークル活動や障害者のセンターになっている施設だ。遠くからきた著者との待ち合わせや打ち合わせに使うとなかなか使い勝手のいい施設なので、最近よく利用している。ここをホームグラウンドにしているあるカウンセラーの人の話を聞く(インタビュー取材)ためで、その仕事がないときでも図書室の本を読んだり、料理教室をひやかしたり、障害者のサークル活動を見学したり、周辺を散策したり、昼食もここで食べたり、けっこう気に入っている。考えてみれば30年以上この地で税金を払いながら、こうした公的施設を利用することなど、まったくといっていいほどなかった。もったいない話である。これからは積極的にこうした施設のお世話になろうと思っている。
(あ) | ||
これが遊学舎
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弘前の2人の先輩に合掌 |
自分の父の四十九日を終えたと思ったら、今度は義母の怪我とアルツハイマー騒動で、仕事すら思うに任せない状態が続いていたのだが、この間、弘前に住む、尊敬する2人の先輩があいついで鬼籍に入られた。一人は「酒林」という弘前では知らない人のいない文化人の集うバーのママさん「はるちゃん」。弘前に行くと必ず寄る店だったのだが、好奇心旺盛で気取らない女性で、彼女の笑顔が私にとっての弘前だった。はるちゃんは去年あたりから自分の死期の近いことを知り、店をたたみ事後の処分を親族に託し、自分で入院して、あっという間に逝った。死に方も見事、人はこんな風に死にたい、という見本である。もう一人は、これまた弘前の有名人、千葉寿夫先生。多くの著作がある文化人だが、昨年、「サライ」に作家の安岡章太郎さんと二人の記事が載った時、ひやかしの電話をしようと思ったが、やめたのが今となっては悔やまれる。津軽書房の高橋さんがなくなってから弘前にはとんとご無沙汰なのだが、近いうちにこの2方へ花を手向けに行こうと思っている。 (あ) |
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