Vol.24 2月10日号 週刊あんばい一本勝負 No.21


秋田市長のスキャンダル

 朝日新聞秋田支局がいきなり全国版で火をつけた石川秋田市長の女性スキャンダルは、今ひとつよくわからない展開を見せている。報道を読む限り「元雑誌編集者」という人物が重要な役割を果たしているようなのだが、後追いした地元紙ではこの元雑誌編集者を「市長の後援組織に入っている人物」としてみたり、あるときは単に仲介役の、しかし県警がマークしている危険人物のような書き方もしている。どうも今ひとつ仲介役の人物の役割と、この事件を朝日にリークした人物の存在が浮き上がってこないのである。選挙がらみで政治的な動きがあるのだろうが、毎日新聞秋田支局が一行もこの事件を報じていないのも気になるところだ。毎日は地元政治の舞台裏に精通しているのにで書かないのはたぶんはっきりとした裏がとれていない、と判断したためだろう。ひとつの事件が新聞社によってこれだけ見解の違いが出るというケースも珍しい。しばらく静観してみよう。
(あ)

朝日新聞全国版(1月31日)

川反の客引き

 秋田市の歓楽街、川反を何年ぶりかで歩いてきた。噂通り人通りが少なく活気もなく、秋田で一番「不況を実感できる場所」というのはウソではなかった。驚いたのは数年前に比べて客引きの姿が目立って多くなっていることである。道行く人より圧倒的に客引きのほうが多いのだから異常な光景である。しかし、もっとショックだったのはその群がる客引きたちの誰一人として私に「ダンナさん、いいこいますよ」と声をかけてこなかったことである。タクシーの運転手に聞くと「訴えられると困るので酔客にしか声をかけない」とのことだが、本当かなあ。マジで落ち込む。けっこうはやっているお店2件にも立ち寄ったが、どちらも客は小生一人。かなり厳しい生き残り戦争のなかにいる感じで、慰めの言葉をかけるのも気の毒なほどだった。事務所のなかにいるだけではわからない世間の冷たい風をいっぱい感じて帰ってきた。
(あ)

「やまごぼう」のこと

 寿司屋で必ず食べるのが「ごぼう巻き」である。脂っこい魚を食べた後、そのしつこさを口の中から洗い流す役目もあるが、小生の場合、ただひたすら「ごぼう巻き」が好きなのである。ところが最近、秋田の市場から生の「やまごぼう」が消えてしまったという。行きつけの寿司屋で出されるごぼうが、しょうゆ色に真っ黒に漬け込まれた「かんぴょう」のようなやつに変わってしまったので、問い質すと、「手に入らないんです」というのだ。ご飯の周りにべっとりと黄色い着色料が着いてしまう安物の「漬け物ごぼう」でなかったのがまだ救いだが、それにしてもこれは寿司屋のごぼうではない。本当においしい「ごぼう巻き」は、生のやまごぼうを薄い味噌のなかに漬け込み、味が濃くならない程度で引き上げてつくらなければならない。これも大切な寿司屋の仕事なのだが、もうだれもこんな面倒な仕事をしなくなってしまった。色は白っぽく、噛むと強い香りが立ち上がってくるあの生の山ごぼうがなぜ市場から消えたのか、今調査中である。ごぼう好きには大問題の冬である。
(あ)

西木村の小正月行事

 2月7日夜、西木村中里地区の小正月行事「カンデッコあげ」の撮影に、照明持ちとして行ってきました。カンデッコとは縄の両端に木で作った小さい鍬を結んだもので、これを桂の木に投げて引っ掛けるお祭りです。うまく架かると願い事が叶うそうです。私も投げたかったのですが、男性だけということで諦めました。時々、手元が狂って観客の中に飛び込んでくるカンデッコもあり、スリルいっぱいでした。
 秋田県の冬祭りはこれからが本番で、各地で様々な小正月行事が開催されます。寒さにめげないで、あちこち見に行こうかなと思っています。
(富)

カンデッコを掛ける神木

No.21

猪瀬直樹(小学館)
ピカレスク

 太宰治の「遺書」を巡る謎に迫った不思議な評伝である。三島由紀夫のことを書いた『ペルソナ』や川端康成と大宅壮一を描いた『マガジン青春譜』に続く三部作の完結編だが、三冊の中ではこの太宰治が一等面白い。太宰とその師とも言うべき井伏鱒二のことが文学史からこぼれ落ちたエピソード(著者の調査で初めてわかったことがら)をちりばめて描かれている。その取材力や仮説の建て方の斬新さに才能を感じる。と同時に行間から「どうだ、すごいだろう」という著者の顔もちらつく、ように感じるのは私のコンプレックスというか偏見だろうか。たとえば沢木耕太郎ならば同じテーマで書いてもこうはならない。当たり前であるが「個」をすべての価値から優先させ、自分自身と等身大の「背景」のなかでしか事実を描写しないからだ。が、著者の場合は作品を完成させるのがチームという組織で、そこには莫大なお金が動く。そのため必要以上に表現が大時代的になり、チームを率いる責任感から、大げさな物言いや面白くするための独断をはらんでしまう危険がある、ためではないだろうか。それにしてもこの周到で大胆な取材には驚いてしまう。

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