Vol.241 05年4月16日 週刊あんばい一本勝負 No.237


街道好きの集まり

 先週末、福島県の桑折町(こおりまち)に行ってきました。「ふくしまけん街道交流会」の設立総会に呼ばれたためです。桑折は福島県の北端にある町で、羽州街道の起点となっています。羽州街道は奥州街道と桑折で別れ、福島、宮城、山形、秋田、青森と通っていた江戸時代の街道で、奥州街道と並ぶ東北を代表する街道でした。その日は『羽州街道をゆく』や『東北の峠歩き』などの著者でもある藤原優太郎さんを誘って、芽吹き始めた木々を車窓から眺めながら、東北自動車道をのんびり福島に向いました。「ふくしまけん街道交流会」とは、福島県内で街道や宿場を町おこしに活用したり、街道歩きをしてかつての道沿いの様子を考えたりするグループが集まって結成したものです。会の目的は情報交換や交流会、街道探訪会などを行い、県内外に情報発信をしようというもので、東北で県単位の「街道の会」が出来たのは初めてです。
 ここのところ「街道の会」を結成する動きが盛んになってきています。昨年10月に山形県上山市で開かれた「第3回全国街道交流会議」がきっかけですが、東北全体を対象にした「とうほく街道会議」が3月末に設立、羽州街道の沿線にある街道関係のグループをまとめようという「羽州街道連絡協議会」(仮称)も立ち上げ準備を始めました。秋田では江戸時代の紀行家・菅江真澄を使って、当時の街道筋の様子を考えたり、観光活性化につなげたりしようという動きが始まっています。なぜこのような「街道の会」の動きが急に活発化し始めたのか。きっかけは先に書いた昨年の上山大会に参加した人たちが、自分たちと共通した活動をしているグループが東北にたくさんあることを知り、刺激を受けたことだと思います。今まで街道の先に何があるのか見えなかったのが、街道の向うに何かがあると知ったためでしょう。街道は人の心をつかむ独特の力を持っています。司馬遼太郎の『街道を行く』が、今でも手を変え品を変え発売されるのも、「街道力」が理由の一つだと思います。これからますます「街道の会」が増えてゆくのは間違いありません。私も先に書いた会に関わっていますので、ときどきこのページで動きを報告してゆこうと思っています。
(鐙)

設立総会の様子。当日は約40人、15グループほど集まりました。

桑折の歴史探訪会。羽州街道と奥州街道の分かれ道です。

隠れたうまいもの

 「ふくしまけん街道交流会」に参加するため、桑折に向かって朝秋田を出発しましたが、途中のサービスエリアで昼食をとるのを我慢して、同行の藤原さんを一軒の食堂に誘いました。その食堂は桑折町の隣、福島市飯坂温泉にある「十綱食堂」(とつな)です。飯坂温泉には予定より早く着いたので、「鯖子の湯」(さばこのゆ)という共同浴場で一汗流してから食堂に向いました。食堂の名前はすぐ近くにある摺上川の「十綱の渡し」から取ったそうで、近くには「奥の細道」の旅で訪れたという芭蕉のブロンズ像が立っています。この10人ほどしか入れない小さな食堂の人気はカツ丼で、普通の卵とじタイプとソースカツ丼がありますが、何と言ってもおいしいのは卵とじタイプです。

カツ丼をほおばる藤原さん
 ところでカツ丼には卵とじカツ丼、ソースカツ丼、名古屋でよく食べられる味噌カツ丼など種類がいくつかあります。東北では圧倒的に卵とじタイプですが、どういうわけか福島県の会津若松市付近にはソースカツ丼の店が多くあります。会津若松市内や東山温泉などの食堂に入ってカツ丼を注文すると、ソースカツ丼が普通に出てきます。どうしてこのあたりだけそうなったのか、いつか調べてみたいものです。私は「十綱食堂」には前にも来たことがあり、ソースカツ丼も食べたことがありますが、やはり一番は卵とじカツ丼です。小さな食堂は開店と同時に地元の人で満員となりましたが注文は全員カツ丼でした。みんなここのおいしさを知っているようです。ぷーんと醤油と卵とカツが交じり合った香りが開店直後の店内に漂い始め、ちょっと濃い目のしょうゆ味のカツ丼に、私と藤原さんはかぶりつきました。藤原さんは「これは旨い」と言いながら、あつあつのカツ丼を味わっています。翌日は山形県米沢市の山奥に住むライターのIさんを訪ねましたが、お土産を兼ねた昼食に米沢駅の駅弁「牛肉どまんなか」を持参。山形の銘柄米「どまんなか」の上に醤油で煮込んだ薄切りの米沢牛をたっぷり敷いたもので、東北の駅弁コンクールで1位になったという人気駅弁です。二日続けてのおいしさを味わうことが出来た東北の小さな旅で、私と藤原さんは「こんな旅ならまた来たいね」と言いながら帰路に着き、途中にある東根六田の麩専門店「文四郎麩」で生麩などを買って秋田に戻りました。
(鐙)

毎日「心棒」を振ってます

 長野のI社のTさんからいただいた「心棒」を一日一回、人目のないところで握り締め、「辛抱辛抱辛抱」と3回となえ、そのあと肩をとんとんと叩いている。この心棒は木曾の木工職人がお土産用に作っているもので、元気のない小生を励ますためにTさんがわざわざ贈ってくれたものだ。この年になるまで、いろんなプレゼントを多くの方からいただいたが、この心棒には感激した。弱気になっている心の中を見透かされたような気もしたが、最後の「気合を入れすぎて疲れたら、肩を叩いてください」というユーモアがうれしいではないか。
 Tさんは小生と地方出版の同期生で同志と言える人である。50代に入ってから家庭、会社、病気といろんな問題が一度に襲いかかり5年間、ほとんど空白の忍耐を余儀なくされていた。そのTさんが、心機一転、新しい出版社を興したのである。こちらがお祝いをしなければならないのに、逆に励まされているのだから世話はない。しかしTさんの勇気と熱情にはほとほと感心。
(あ)

これが心棒

「青春の墓標」という本を知ってますか?

 私が中学生のときに大ヒットした『愛と死を見つめて』がリバイバル出版され初版8千部が即日完売、版を重ねているらしい。出版に関するニュースにほとんど驚いたりすることはないのだが、このニュース(確か新聞の社会面のニュースになったはず)には本当に驚いた。いったい誰が買っているのか、と冷静に考えてみたが、たぶん当時あの本を読んだ人たち(私と同年代の団塊の世代)が、また無性に読みたくなって買っているに違いない、という結論に達した。というのも、私もこの本と同じ時期に愛読した奥浩平著「青春の墓標」を最近しきりに読みたい、と思い続けているからだ。気持ちはよくわかる。中学高校で涙した本を今読むとどんな感情が沸き起こるものだろうか、自分自身の読書体験の原点を確認したいのだ、たぶん。
 「日本の古本屋」で検索すると『青春の墓標』は十冊ほどひっかかった。昭和40年に文藝春秋から初版が出て、定価は500円。私が今回買い求めたのは昭和46年の第31刷(!)だった。40年前の本なのにカヴァーの色やデザインもはっきり記憶していたが、実際の本を見るとちょっと違っていた。これは版を重ねて装丁をリニューアルしたものではないのか。高校生のときに読んだ本は確か黄色い表紙だったはずだ。擦り切れるほど何回も読んだからよく覚えている。でも記憶違いかもしれないな。この本は読まずに手元においておくだけで満足な本だ。
(あ)

これが『青春の墓標』

No.237

臆病な医者(朝日文庫)
南木佳士

 ここ数ヶ月、落ち込みがひどく、自分はうつ病なのではないか、と自分自身への疑心暗鬼渦巻き、けっこう怖くなった。落ち込みがひどくなると自殺をする人の気持ちが理解できるようになるのだ。まあ基本的にはノーテンキな性格で「嵐のなかでも時間(とき)はたつ」と信じているのだが、一時的にせよ「死」まで思いつめる経験というのは年齢が増すにつれ多くなるようである。医者なのにうつ病に苦しみ、そのことを作品にしている作家がいる、と知り本書を手にとったのだ。内容もいいが、この作家の社会や世間への向き合い方にすっかりはまってしまった。医者になり、若くして芥川賞を取り、社会的にも経済的にも家庭的にも恵まれた人でさえうつ病になる。数多くの死に医者として立会い、作家として生と死のはざまに分け入りながら、時にユーモアを交えてゆるやかに展開する物語に心が癒される。

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