Vol.254 05年7月16日 週刊あんばい一本勝負 No.250


「大学」に縁のある週でした

 ふだん「大学」とはほとんど縁がない。今年になって独立法人化した秋田大学の本を2冊(『あきた再発見!』『学校ボランティアによる学びの広がり』)出したので、今年はなにかと大学とは縁ができそうだな、とある程度予想していたのだが、ここにきて市立の短大の学長と会食したり、わが母校(といっても中途退学だが)から講義(図書館資料学)の依頼があったり、市民大学からのオファーまで、この1週間はまるで「大学ディー」。前からいっているようにある仕事が舞い込むと、そのテーマと類似した仕事が相次ぐ、というのは経験則からいってもかなり確率が高い。日常生活で若い人と接することがほとんどないので、学生の生態を眺めるだけでも楽しいから、大学の仕事はホイホイと引き受けてしまうのだが、一昨年まで8年余り私立大学の非常勤講師をしたので、今の若者はどんな刺激的な話をしても無表情、無反応、だから期待は、しない。秋田市内を歩いていても若い人とめったに会わないが大学構内は若者であふれている。あたり前のこの景色に驚く。わがPCは「だいがく」と打ち込んでもいまだ「代学」としかでない。
(あ)
授業前の教室と秋田大学の二冊の本

No.250

団塊の世代(文春文庫)
堺屋太一

 最近、いたるところで「あんた、団塊の世代のクセにそんなこといっていいの?」とか「けっ団塊の世代がっ!」といった言い方をされることが多くなった。正直なところ自分が「団塊の世代」だという自覚はまったくなかったから、無性に腹がたつ。1947年から1950年あたりに生まれたベビーブーマーの申し子をそういうのだというから、1949年生まれの小生は間違いなく「団塊の世代」である。「ビートルズ世代」という言われ方もするが、中学3年のとき日本にやって来たビートルズの武道館公演を学校の厳しい管理にもかかわらず学校を休んで東京まで聴きにいったのはOさんという女生徒ただ一人だった。彼女はその後、学校や友人から「不良」のレッテルを貼られた。ビートルズ世代というのはこのOさんのこと、それ以外の連中はビートルズ世代などと言う資格はない、と小生は今も思っているぐらいである。この新版の文庫は30年前にこのベビーブーマーたち、ようするに私たちの未来を予測した小説である。今回はじめて読んでみて驚いたのは、ある電器メーカー社員が「コンビニ経営」を提案する物語があったことだ。30年前に書かれたものですよ。小説家の創造力のすごさに脱帽すると同時に、団塊の世代が一挙に退職する2007年問題が、はじめて自分の問題でもあることに思い至って、遅ればせながら危機を感じている。

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