Vol.256 05年8月6日 週刊あんばい一本勝負 No.252


サイン本はありがたいか?

 急ぎの本はアマゾン・ドットコムで買っているのだが、最近はアマゾンの「ユーズド」を利用する機会が圧倒的に多い。少し昔の本ならアマゾンで検索するとほとんどがユーズド(古本)でひっかかる。新刊屋さんで古本が簡単に手に入るというのは「革命的」だが、アマゾンがすごいのは面倒なお金のやり取りを新刊と同じ銀行自動振り落としにしたこと。これで「日本の古本屋」への依存は一挙に減ってしまった。「日本の古本屋」は代金決済が「前払い」(これは不便極まりない)で、本が届くまでかなりの日数を要する、という大欠点があるからだ。しかし、このアマゾンのユーズドには古本屋も個人も境目なく出品できるので、時にかなりひどい出品者に出会う。今回は大好きな作家、山本甲士の本を定価の3分の1!でゲットしたのだが、出品者は個人で、なんと延々と自分の「古本ビジネス」への勧誘メールを勝手に送りつけてきた。いい迷惑だが好きな作家の単行本が3分の1以下で手に入ったので我慢する。そして、ページをくくったら、見返しにシミのような落書きがあるではないか。
 本の汚れはそれほど気にならないが「勧誘メールにシミ本か」と次第に怒りがわいてきた。が、よく見るとシミではなく著者のサインである。サイン本をありがたがる趣味はないが、大好き作家なのでほほがゆるんでしまう。出品者がアホな個人だったから、たぶんシミと思って安い値段をつけたのかもしれない。てだれの古本屋なら当然定価より高い値段をつけて売るはずだ。こういうのを「災い転じて福となす」というのかな。
(あ)

これがサイン本。シミに見えない?

毎日スイカを食っています

 毎年この時期になるとスイカ農家の浅舞のMさんから大きなスイカが届く。Mさんは冬は杜氏に変身、おいしい日本酒を造る人でそっちの仕事は『夏田冬蔵』という自分の著書を持ち、そこに詳しい。でも本業はやはりコメやスイカを造る農家で農業に誇りを持つ信念の人である。こういう人の作る食べ物はすべておいしい。Mさんのスイカを毎夏食べているうちに、近頃すっかりスイカ大好き人間になってしまった。

4Lという表示があるMさんのスイカ
 ということは以前スイカがあまり好きでなかったのである。好きになれなかった理由は「種を出すのが面倒だから」。これだけである。少年期のいやな記憶が尾をひいているのである。それが50を超えて180度かわった。Mさんのスイカは半端でなく大きいので食べ終わるまで1週間もかかるボリュームがある。朝夕のデザートに食べ、昼もおやつ代わりに食べている。ほとんどが水分なので腹にもたれなくて、この年になると「重宝する」食べ物なのである。夏はやっぱりスイカだよねえ。この台詞、一回言ってみたかった。
(あ)

徐福塚の復元

 徐福という中国人にまつわる伝説があります。その話を簡単に紹介すれば、「今からおよそ2,200年前、秦の始皇帝の命を受けた男が童男童女3,000人を乗せた船で海を渡り、不老不死の薬を探しに東方の蓬莱山に向けて旅立った。その向った先が日本であり、始皇帝から薬探しの命を受けたのが徐福だった」というような内容です。徐福は薬(薬草)を求めてさまざまな所を旅したためか、日本各地に徐福伝説が残っています。私も北前船の取材で丹後半島の伊根町(兵庫県)や、青森県小泊村の権現崎で「徐福上陸の地」碑を見ました。その話しは男鹿にも伝わっていて、江戸時代の紀行家・菅江真澄が『男鹿の嶋風』に、図絵と文章ではっきりと「徐福塚」という石を記していて、場所は門前の五社堂前となっています。しかし、その石は「昔はそれらしき石があった」と話す古老もいますが、道路工事などで失われてしまったのか、今では痕跡もありません。そこで男鹿に住む菅江真澄の愛好家や郷土史家、地元の人たちが集ってこの「徐福塚」を復元し、男鹿に古くから伝わる徐福伝説を後世に残そうと活動を始めました。私も仕事で真澄に関わる作業をしていましたので、協力を要請され看板を制作しました。
 塚は7月末に完成し、8月7日の日曜日、関係した人たちを集めて賑々しく完成式を行いました。私も参加してきましたが、塚の復元に向けて走り回った男たちが完成を喜び、労をねぎらい合い、これからの活動の夢を語る姿はまんざらでもないシーンでした。この塚の復元は伝説を形にしただけでなく、男鹿の新しい観光スポットとしても脚光を浴びてくれることを願っています。
(鐙)

徐福塚の除幕式。炎天下の中赤神
神社の宮司さんの祝詞で行われた

No.252

面白南極料理人(新潮文庫)
西村淳

 南極ものの本は、よく知らないが何冊も出ているのではないだろうか。しかし、この本のように平成13年に春風社という出版社から刊行され、その3年後に新潮社が文庫化し、平成十七年現在も6刷りと売れ続けている本というのはかなり珍しいのではないのか。たぶん他の南極本とは一味違う何かがあるに違いない、と踏んで読み始めたのだが、その理由がすぐにわかった。南極という非日常の暮らしを記録するのはそれだけで「稀有」なことだが、本書はその暮らしを、料理人の目で、食事メニューをメーンにして記録しているのである。とくに、何かあるとすぐに豪華食材を使って催されるお決まりの楽しみパーティーのメニューが克明に記されているのが、南極の自然現象より非日常的で興味をそそられるようにできているのが売れる要因である。これでは他の隊員たちがどんな過酷で、スリリングな手記を書いても、かないっこない。なにせ南極越冬隊員にとって、もっとも大切で重要な楽しみが「食事」であり、読者もまたその点こそがもっとも興味引かれる点なのである。本書の南極ならではの豪華絢爛メニューの数々は、それだけで「グルメ本」として読めるところがミソである。そうか、南極グルメ本か、これなら売れないわけがない。南極のシリアスな極限生活や観測の仕事にも興味はあるが、やっぱりなんてったって食い物が勝ち。

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