Vol.265 05年10月8日 週刊あんばい一本勝負 No.261


わが町内は葬儀場戦争まっただなか

 事務所のある秋田市郊外の広面地区は秋田大学医学部と大学病院のあるアカデミックな町として発展してきたのだが、このところそのイメージが急変しつつある。今年に入って二社の巨大な斎場(葬祭業)が建設中で、二年前にできた一社とあわせて、信じがたいことに町内の半径100メートル以内に三社の巨大斎場会社が勢揃いしたのである。秋田市の多くの住民は葬儀や法事のためにのみ広面に来なければならない状況になってしまった。

分かりにくいが左はしがR、真ん中工事中がB、右端にH社が見える
 目の前にある医学部の中には「病院からあまりに近すぎて不快」と公言する先生もいるそうだ。それにしても秋田市内の大手葬祭社がこぞって広面に集中した、というのは何か裏事情でもあったのだろうか。農協系のR社は安売り電気屋が撤退した後のビルにはいったことからみても、あまり計画的な出店ではなさそうだ。先行会社への対抗的進出というところだろう。いっぽうタクシー会社跡地に入る全国区B社は、かなりのリサーチをして勝負をしかけているのは明白だ。目と鼻の先に地元資本のH社があるのに進出を決めたのは、やはり近所に大学病院がある、という立地と無関係ではないだろう。パチンコ店の裏にひっそりと最初に進出したHは、こんな乱立は露思わずの出店だったに違いない。この町に住んでもう四半世紀が過ぎたが、まさか「葬祭の町」に変わろうとは、予想すらしなかった。
(あ)

No.261

その日のまえに(文芸春秋)
重松清

 生と死、幸せの意味を、いつもの重松ワールドと同じく「家族」をキーワードに展開する、泣かせる連作短編集。7つの短編が収録されているが、それぞれの主人公もシチュエーションもまったく別、独立した作品として完結している。それぞれの短編を「あいかわらず、うまいなあ」と堪能しながら読み進めていくと、後半の5つ目の短編(「その日のまえに」)から6つ目の「その日」、最後の「その日のあとで」の3本に、次々と前半の主人公たちが「わき役」として再登場し、この本が実は7つの物語からなる長編小説であったことが分かる仕組み。しかし小説家という人種がいかに「想像力の達人」とはいえ、こうした構想を立て、紙の上で人物を創造し、読者を大泣きさせる、その「磁場」を創り上げる力技というのは「才能」という言葉以外に思いつかない。すごいもんだ。本書に登場する3,4組の家族や主人公のディテールを、著者は頭の中だけでフィクションとして組み立てているのだろうか。それにしてはリアルすぎるし、かといって実体験や見聞だけにしては、その物語のバリエーションが豊富すぎる。最近、同じ著者の「熱球」という長編小説を読んだばかり。これは高校野球の「不祥事による出場辞退」をめぐる小説で、やはり得意の「帰郷小説」である。これにも泣いた。乗りに乗っている作家である。

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