Vol.280 06年1月20日 週刊あんばい一本勝負 No.276


飛ぶように日々が過ぎていく

 仙台、東京、郡山と4泊5日の出張。毎日一人ずつ執筆予定者との打ち合わせ。慣れっこになっているとはいえ、未知の執筆者と顔をあわせるのはそれなりの緊張がある。それに今回の出張にはもうひとつ不思議な感覚も伴っていた。88年ぶりの豪雪危険地域・秋田市から「逃げ」、雪のない天国のような地域で「ぬくぬくと」仕事をしているという後ろめたさ、である。幸い出張中は寒気が緩み、毎日の雪かきやトラブル(雪と比例してこれが多くなる)もなかったようで面目も立ったのだが、もし雪が降り続いていれば、老いた義母が日中一人でいる我が家からは「すぐ帰れ」コールが入っていたのはまちがいない。そんな電話におびえながらの出張だったのだが、東京の出版関係の友人たちの新年会にも出ることが出来たし、高校時代の友人S君に誘われて浅草演芸ホールで、このところ興味を持っている落語をたっぷり聴く事も出来た。学陽文庫から再刊された『志ん生一代』を読んだばかりで、にわか落語ファンになったばかりのところなので、これはうれしかった。実家で一人暮らしの母親は寝る前にかならず落語のテープを聴くし、大学生の息子も中学時代から落語好き、「こぶ平を皆なバカにするけど、落語はものすごくいいよ」なんて数年前ほざいていた。弟の長男も落語好きだ。小生は演芸場で生でちゃんと聴いたのは初めてで正直なところかなり感動した。病み付きにならないよう努力しよう。それにしても時が過ぎるのが早い。出張から帰ったのは2日前なのに、もう大昔の出来事のように感じているジブンはいったい何? 年をとると時間が早く過ぎて行くというのは本当である。最近このニュースの画像がないのは、あわただしくて余裕がなく、カメラを持ち歩いていないせいだ。ごめんなさい。
(あ)

おいしい頂きもの

  先週の日曜日、秋田市内で料理教室を開いているK先生から突然電話がかかってきました。「鐙さん、1ヶ月ほど前に会ったとき、スズキの卵でカラスミを作っている話しをしたの覚えていますか。それが、なかなか良い具合に出来たの。ちょっと食べてみませんか」という、ありがたいお話し。K先生は料理教室を開くかたわら、秋田藩主・佐竹家の正月料理を歴史資料を基にして再現したり、郷土料理の研究、いろいろなところから依頼されてメニューの開発をしたりする料理研究家でもあります。今回、スズキでつくってみたのは、秋田市内の通り町にある「関谷」の店頭で、スズキの腹子が売られているのを見つけ、ボラと同じように卵の粒がごく小さいため、“これはカラスミにいけるのでは”と思ったためだそうです。日本では普通カラスミはボラの腹子(卵)でつくりますが、瀬戸内ではサワラを使ったりもするそうです。

仕上がりがボラのカラスミに比べて薄いのは、スズキの腹子が薄いためです
 調べてみるとイタリアではボラのほか、マグロ、スズキ、メルルーサなどの腹子も使っているようです。ボッタルガと呼び、粉状にしたカラスミをパスタのカルボナーラなどにかけて食べるあれですね。いただいたカラスミは極上の仕上がりで(多分。そんなに多くは食べたことが無いので)、私が今まで食べた中では一番でしょう。薄切りのダイコンとともに口にいれると、カラスミ特有のねっとりした感触で、あっさりとした塩味が独特の香りとともに口の中に広がりました。わずかながらボラの場合よりも渋みと香りが強いようです。日本酒のぬる燗との相性も抜群で、つい酒がすすみすぎてしまいました。年末には友達ご自慢のお手製クジラの味噌漬けもいただきましたし、今年はおいしいものがたくさん食べることが出来る、いい年になりそうです。
(鐙)

No.276

魂の酒(ポプラ社)
農口尚彦

 これまで多くの「日本酒本」を読んできたが、本書は頭一つ抜き出ている。「菊姫」の杜氏として関係者に知らぬ人とていない有名杜氏への聞き書き本だが、自慢話ではない。「酒造り」の一から十までを、数字を羅列しながら説いている。まるで杜氏の教科書みたい、という人もいるかもしれないが素人が読んでも「なるほど」と納得できる論理性と説得力を持っている。これはたぶん、この本を聞き書きした塩野米松さんの作家としての力量と大いに関係がある。塩野さんも実は理系の人で数字に強い。数字が並んでも、その背景にある「論理」を克明に説明しているので、実にわかりやすい本になっているのである。小生のような非理系でもぐいぐいと読まされてしまうし、プロの杜氏や酒蔵関係者が読んでも、内容は驚きのオンパレードなのではないのだろうか。麹やモト、酒母、もやしに粕、そして洗米からビン詰めまでの現場作業、弟子への教えから酒への熱い思いまで、自由に、縦横に、闊達に語られているのはインタビュアーの力が大きい。秋田の酒についてはわずか数行の記述しかない。「秋田、山形はね、(山田錦のような)米そのものが入らなかったんです。だからね、うま味がたりなかったんです。それからやっぱりきれいなものだけが、当たり前だと思っているから炭素で抜いてもうて。取ってしまったやつが良い酒なんだという考え方なんです」……なるほど、厳しいけど当たっているかも。

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