Vol.305 06年7月15日 週刊あんばい一本勝負 No.301


原稿とプライバシーについて

 (社)日本文藝家協会から「生原稿流出等についての要望」なる手紙が届いた。書面に個人名は書かれていないが出版関係者であれば誰でも知っている、村上春樹の肉筆原稿を、先年亡くなった安原某氏が勝手に古書店に売った事件についての遺憾の意を表した要望書である。生原稿の所有権は著者にあることを表明しているのだが、それはいいとして、これが村上春樹氏の肉筆原稿(「生原稿」という言葉は編集者のスラングで、いい言葉ではないとおもうけど)でなければ、こんなに問題になっただろうか。売り払った人物も毒舌人気評論(書評)家ゆえに、こんな大きな騒ぎになったのではないのだろうか。というのも昔の編集者らはよく作家の肉筆原稿や色紙、短冊の類を小遣い稼ぎに売っていた、とある先輩編集者から聞いたことがあったからだ。個人情報保護法などで、そうしたことに世間の目が厳しくなった、という社会事情もあるのだろう。書面では後半、著作者・遺族の書簡類の公表、刊行にも触れていて、それらも事前に著作者・遺族への許諾を得るべきであることを強く要望している。これはもちろん基本ルールなのだが、小舎の著者の中にも自分の本をいろんなところに贈呈し、その礼状の文面をそっくり印刷(もちろん無許可で)、小冊子にして配るのを趣味にしている年配の御仁がいる。いくら注意しても、そのどこが悪いのか理解できないらしく、いまも同じことを繰り返している。本を貰ってもうかつに礼状は出せない。まあ読者でも買った本に一字誤植があったから金を返せ、本を全部回収しろ、と騒ぐ人もいる。いずれにしてもこれからの出版者や作家は、プライバシーや個人情報の取扱いに、ごくごくナーバスに対処していくしか道はないようだ。
(あ)

No.301

雨にぬれても(幻冬舎アウトロー文庫)
上原隆

 この人の『友がみな我よりえらく見える日は』と『喜びは悲しみのあとに』は文庫になる前の単行本で読んだのだが本当に感動した。こんなすごいノンフィクションの「新人」が現れたことに一読書人として、誰かに感謝したい気持ちになったほどだ。しかし、この著者の本が幻冬舎の文庫で出るようになったあたりから、ちょっと様子が変わってきた(様な気がする)。私自身が新刊情報に弱いせいもあるのかもしれないが3冊目のこの文庫の存在は知らなかった。出版社のウェブに連載されたもののオリジナル文庫で、つい最近でたもののようだが、なぜ単行本で出なかったのか。「上原節」はあいかわらず顕在だが1話の分量が少なすぎるし、これでは余韻も執着も興奮もちょっと無理。市井の、フツーの人たちの断片を切り取る「ルポルタージュ・コラム」の切れ味は少しずつだが鈍っている。最初の2著を読んだとき、なぜか著者は映像関係に働く洗練された都会派の中年男性で、まるでもうひとりの沢木耕太郎の出現、とまで勝手に想像したのだが、『上野千鶴子なんかこわくない』や最新作『1ミリでも変えられるものなら』を読むと、イメージはどんどん別の方向にそれていった。最初の2著のルポルタージュを越えるのは至難の業なのだろうが、やはりあの初期の2著のような本が読みたい。

このページの初めに戻る↑


backnumber
●vol.301 6月17日号  ●vol.302 6月24日号  ●vol.303 7月1日号  ●vol.304 7月8日号 
上記以前の号はアドレス欄のURLの数字部分を直接ご変更下さい。

Topへ