Vol.311 06年8月26日 週刊あんばい一本勝負 No.307


「嫌なことは書けない」という息苦しさと癒しの蕎麦屋

 人並みに嫌なことはいっぱいある。この一週間でも不愉快な出来事やむかつく人間との接触が何回かあった。昔は無邪気に(実名こそ出さなかったが)そんな出来事をネット上に書き散らかして溜飲を下げていたのだが、ネットの怖さを知るに連れ、罵倒する相手の名前や事件が容易に想像できるようなことは、いっさい触れないことに決めた。なにせ毎週書いている書評(というか読後感)の「1本勝負」ですら、辛口に取り上げた著者から感情的な〈反撃〉をされたりする世界だから、ネット上で批評活動は難しい。そんなネットに拘束された日常を送っていると(一週間の大半を事務所の自分の机の前で過ごす)、不快なことも少なくなく息抜きが必要になるのだが、外に出るのが年々億劫になっているからやっかいだ。隣が自宅なので衣食住、買い物すべてが半径100メートル以内ですんでしまう、というのが問題なのかも。でも最近、ちょいとした息抜き法を見つけた。蕎麦屋に通っているのだ。蕎麦屋不毛地帯の秋田市で2軒、これならいけるという蕎麦屋をみつけ、息苦しくなるとそこに逃げこんでいるのである。市内中心部にあるA店は、これぞ蕎麦屋といいたくなるシックさで、シンプル、静謐、上品な内装で、昼酒を飲むにはいい雰囲気だが、肝心の蕎麦が細すぎて味がちょっと弱い。郊外にあるB店は、蕎麦も蕎麦前の酒のつまみもなかなかのものだが、なにせ交通の便が悪く、自転車でフラリというわけには行かないのがつらい。それにしても蕎麦屋はいい。他の飲食店と明らかに違うのは、不審な中高年の男が真昼間から酒を飲んでいても許される空気がゆっくりと流れていることだろう。まさにオヤジたちの癒しの空間だとおもうのだが、昼から酒を飲んでいるのはいつも小生ひとりである。
(あ)
B店の蕎麦定食
A店の蕎麦は細い

No.307

北園町九十三番地―天野忠さんのこと
(編集工房ノア)
山田稔

 今年2冊目の山田本の登場である。同じ著者の本はなるべく重複しないようにしているのだが、なにせ最近は山田稔の本ばかり読んでいる。ご勘弁を。本書は、著者の近所に住む「天野忠」という詩人との交流をつづったものである。天野忠の詩も読んでみようかな、という著者には申し訳ない興味から読み出したもの。山田本には何かと天野が登場してきて、その詩の断片が引用される。これではいやでも読みたくなるではないか。詩や小説を読むにはある程度の覚悟というか時間的な余裕が必要である。そのためには、その作家の軽いエッセイからまずは読みはじめ、フィクションの世界にのめりこんでいい作家かどうかを確かめる。これは筆者の一種の「読書の儀式」である。天野の詩を読みたいと思ったのは、自分の詩をラジオで森繁が朗読したとき、天野はその感想を「おもわせぶり」と、一言で斬って捨てたそうだ。これはかっこいい。詩人はすべからくこうでなくてはいけない。「健康の置土産は老醜である」「むかしという言葉は/柔和だねぇ/そして軽い……」三島由紀夫や丸谷才一に天才詩人と評されながらも、死ぬまで有名であることを拒否し続けたこのダンディズムは本物だ。

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