Vol.319 06年10月21日 週刊あんばい一本勝負 No.315


「角館の寅さん」を訪ねて

 明日からのソウル行きを控えてなんとなく虫の居所が悪い。朝一番の電話で、あまりよく知らない男から「アメリカのテレビ局が半年間、秋田の広大な山岳地帯をキャンプ地にして撮影するので、どこか良い場所を紹介してくれないか」という連絡。どこのテレビ局か、何の撮影か、責任者の名前は、と聞いてもまったく要領を得ない。テーマも目的も責任者もわからない、飲み屋のヨタ話を真に受けてるらしいその男に「オレオレ詐欺に引っかかる年でもないだろう」と忠告。お昼時には90歳を超えているというお年寄りが突然事務所に入ってきて、区画整理で市にだまされた、護国神社をあなたはどう思っているか、などとうわ言をいい続けるので「警察を呼びますよ」と帰ってもらう。その合間にストーブを取り付けに来た業者の不始末に小言を言うと、業者は泣きそうになってフロアーに手をついて平謝り。イカン、完全に鬼のような怒りモードにはいっている。こんなときは何をやっても「不幸」を呼び寄せ自滅してしまう。早めに仕事を終え明日の準備でもしよう。
 しかし昨日の抱き返り渓谷の「ドン」の取材は面白かった。ドン助屋の主人林崎さんは70歳、「角館の寅さん」の異名を取る流しのドン屋さんで、この道55年というとんでもない人。啖呵バイのような語り口調が面白い。菅江真澄がだいすきな歌詠みでもある。ドンの器械も昭和22年製のマキを使った本物志向。家族総出で角館の近くのこの地で観光客相手の店を開いている。取材中ちょうど台湾からの観光客が店にやってきて「ポンだ、ポンだ」と大騒ぎ。台湾もドン菓子はポピュラーなおやつらしい。この爆発音が「ドン」と聞こえるのは北東北地方だけで、西日本などはすべて「ポン」というのもおかしい。林崎さんは最近お笑いバラエティの「ビンボーさん」というテレビ番組に出たばかりらしい。その前は明石さんまの番組にも出ている。突然テレビ局から電話がかかってきて、秋田から埼玉まで出稼ぎしながらフラフラしている「ビンボーおじさん」を演じさせられたのだそうだ。林崎さん冬の期間、車に積んだドン器械とともに旅に出るが、行き先は太平洋側の町々で郡山あたりが南限だそうだ。テレビ局の下請け業者には、全国の変なオジさんや個性的なキャラクターの持ち主たち専門の人材派遣会社というのもあって、林崎さんもそれに登録されているようだ。一度冬の旅に同行したい、といったら快くOKの返事をもらった。ちなみに秋田県にドン屋さんは三業者ほどいるのだそうだ。
(あ)
いろんな種類や形のドンがある
マキのドン器械は珍しい
この人が寅さん

No.315

世界一周恐怖旅行 (文藝春秋)
車谷長吉

 この作家が、あのピースボートに乗って、どんな旅行をするのだろう。1冊でも彼の本を読んだことのある人なら、そんな下世話な興味を持つに違いない。まるでミスマッチ、と勝手な予断を持っていたのだが、さすがというべきか、作家はピースボートの市民運動的な側面にはただの1行も触れず、無視をきめこんでいる。辛らつな乗客批判をしても、それをイデオロギーのせいにはしないし、普段どおりのスタンスを貫いている。若い乗客の多い船旅という程度の意味しか見出していないのは、もしかして意識してのことだろうか。というのも船内ではそれらしき著名人による講演や、虫唾の走る独りよがりの自主講座なども開かれているはずなのに、そのことにまったく言及していない。下船した訪問地で下痢をして街角で用を足したり、乗船者の若い女性たちを徹底的に嫌ったり、思い出したように編集者に呪詛の言葉を投げ続けたり、相変わらずの車谷節だが、毎日の船の食事をきっちりと書き記しているのはちょっと意外。小説とは「人間とは何か」という問いに対する答えを書くこと。作家になるためには1年に1人の作家の全集を全部読み、それを30年続けること。気に入った作家の作品1篇を声に出し、丸暗記すること。乗船者に答えたそんな記述もあったが、作家の「素」を垣間見せてくれる旅日記だ。

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