Vol.322 06年11月11日 週刊あんばい一本勝負 No.318


本屋がなくなっても誰も困らない?

 笑われるかもしれないが、このごろ妙に「本」が気にかかっている。本を造るのが仕事だから当たり前じゃないか、といわれそうだが、仕事で造っている本以外に興味はほとんど本には向かわない。本屋にいくと集中力がそがれるし、他所の本への嫉妬も芽生えて気持ちが乱れるから、あまり近づかないようにしているのだ。最近はそれに加えて、本屋のすさまじい衰退を目の当たりにするのが怖い、という理由もあって(それが本音)そばにはよらないことにしている。それがこのごろ微妙に変ってきた。怖いもの見たさなのかもしれない。いや、ソウルの夜店で本を造る(文字通り何も刷られていない紙を製本してみせ、それを売る)職人を見て感激したせいかもしれない。夜店で本を造るパフォーマンスが成立するなんて、もう日本ではありえない光景で、なぜか原点を見たような感慨深いものがあった。ソウルでは価値あるオブジェとして本が暮らしの中にまだ生きていたのだ。翻ってわが秋田では、近所のスーパーに「本屋」が文具コーナーと同じ「壁面」としてデスプレーされていた。これはショックだった。このスーパーには秋田一の規模を誇る老舗書店が60坪ほどの店舗を持っていたはずだが、いつのまにか撤退、いまは店舗なし坪数なしの壁面書店(コンビニなどと同じ)に変わっていた。もう本屋は独立した店舗をスーパーに持つほど重要な価値はない、と断言されているようで胸が苦しくなる。そのいっぽうで、ここ数ヶ月、次々と刊行される出版関係者の自伝風書籍を読み漁っている。エロ本業界の編集者の本、リトルモアを立ち上げた社長の本、自費出版の新風舎・社長の本、嵐山さんの出版風雲録……とまあよく出るし、それを律儀に読むジブンも、いったいどうなっているのやら。とにかく地方都市の「本の力」は効力を失うばかり。書店がゼロになっても誰も困らない、という時代がすぐ目の前まで来ている。
(あ)
ソウルの本を造る夜店
スーパーで本はこうした扱い
ペット売り場の隣が壁面書店

No.318

金沢城のヒキガエル (平凡社ライブラリー)
奥野良之助

 「逝きし世の面影」が平凡社ライブラリーに入り売りに売れているらしい。地方の出版社としては複雑な心境だが、本はやはり版元の知名度や信用が大きなウェイトを占めている。九州の葦書房で10年がかり10刷までいったロングセラー本がこのライブラリーに入ったとたん半年もたたないうちに10年分の本を売ってしまう。もちろん内容がいいから売れるのだが、こうも力が違うものなのか。本書も10年前に「どうぶつ社」から出た本のライブラリー入り。内容はヒキガエルの行動観察の書だが、一癖も二癖もありそうな筆者の「独り言」が魅力的だ。まあ科学者のエッセイ集というのはたいがい面白いもので、これは専門領域の深い知識や観察を人間や社会の考察に応用できるからだろう。序章の「雨の金沢城跡」で詳しく述べられているが、著者は学会で村八分の偏屈学者、70年初頭の全共闘運動盛りの金沢大学に赴任、学生の肩を持つ異色の教師である。ヒキガエル観察も独創的で毎日毎日大学のある城址内のヒキガエルの数を数えるだけ。でも、これがなんともすっとぼけていて面白いのだ。ヒキガエルをダシにして大上段から社会批判、という安っぽいパターンを予測していると裏切られる。淡々と綴られる生物ドキュメントがなぜこんなに面白いのか。これは著者の語り口の妙にちがいない。

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