Vol.33 4月14日号 週刊あんばい一本勝負 No.30


食べ物腹立記

 ローカル線の通学列車に乗った。運悪く帰宅の高校生で立錐の余地もないラッシュで「まずいな」とは思ったが乗り込むしかなかった。通学列車のクソガキたちの態度の悪さは経験済みだが、年に1回も乗らない列車がよりによってクソガキラッシュというのは運が悪すぎた。口や耳にピアスをつけ、白いワイシャツを学生服からはみ出させた世界最悪の田舎もの集団のなかに放り込まれ、久しぶりに殺意と呪詛の「濃い1時間」を味わわせていただいた。このクソガキたちはほとんど人間以前の猿のようなものだと思えば腹も立たないのだが、列車のなかでバカ男女数名がいちように口から白い棒をつきだしているのが目についた。猿のやることなので誰かの猿まねだろうが、どうやらキャンディのようである。後しばらくすれば列車のなかはあのルーズソックスのように白い棒を口からつきだした流行病の猿たちで満杯になるのだろうが、ホント親の顔がみてみたい。

 秋田市の広報紙に食べ物コラムが載っていて「ババガレイ」について書かれていた。「ババ」という方言の由来をあれこれ推測し、結局わからないので誰か教えて、といった内容だったが、こんなもの手元の百科事典や魚類図鑑を見ればすぐわかることではないのか。書いたのは一応原稿を書いて飯を食っている人らしいのだが、こんな原稿をチェックする編集者がいなかったのだろうか。ババガレイは方言ではなくカレイ目カレイ亜目カレイ科ババガレイ属という、れっきとした標準和名を持つ魚である。よってこのコラムは辞書を調べてさえいれば書かれる必要のなかったシロモノである。無知は人を謙虚にさせてくれる、はずなのだがなかなかそうはいかない。自分も原稿のなかで同じようなミスをして、多くの人に笑われているのでは……、と自戒を込め暗い気持ちになってしまった。

 久しぶりに食指の動く出来事にであった。横手市が「やきそば」で町おこしをする、というのである。横手の「やきそば」はおいしかった、という記憶が小生のなかにはある。母親が横手出身なので小さいころよく食べていたのだ。こんなうまいものがなぜ湯沢にはないのか不思議だった。40年近くたった今もあの「やきそば」の味をかすかに覚えているぐらいだから、子供にもよほどインパクトが強かったのだろう。そこで期待に胸踊らせながら高速道に乗り横手まで「やきそば」を食べに行ってきた。しかし期待は無惨に破られてしまった。「うまくない」のだ。ウリである太いゆで麺がとにかくモッタリして食感を著しく損なっている。それに輪をかけるように上にのった目玉焼きもメリハリのないソースの甘ったるさもすべてマイナスに作用している。当時はこれをうまいと感じたのかもしれないが、今この味ではヒットは難しいだろう。郷愁だけでリピーターがでるほどの人気メニューにはならない。「やきそば」を全国的な名物にしようとしたセンスには大いに共鳴できるのだが、なんとも惜しい。

 先日、男鹿にドライブに行ったのだが、そこで食べた昼食がひどかった。あれだけの景観を持ちながら男鹿が今ひとつ観光地として成熟していないのは食事がまずいせい、と小生は信じているのだが、「サービスが悪く、おいしいものを食べさせてくれる場所がない」というのは男鹿に対するおおかたの共通認識である。そのことを失念してついつい昼食を食べてしまったのだが、いやはやひどかった。それがこの写真で3000円の定食である。写真で見る限り豪華で、これにさらにそばとおみそ汁がつくのだが、ただ単に魚をてんこ盛りしているだけで味は保証付きのまずさである。この店はそれでも男鹿ではうまいと言われているところだというのだからあきれる。とにかく味は2の次3の次、量だけで勝負をしているアナクロさなのである。男鹿にシャレたおいしいレストランが2,3軒できると地元秋田からの観光客は急増すると思うのだが、景観の美しさに甘えて、食事のことなどはなっから気にかけていない男鹿市民が何とも歯がゆい。
(あ)

おいしい郷土料理の話

 久しぶりに津軽に行ってきました。早朝からの取材となるため前日の夜弘前に入り、カメラマンの佐藤勝彦さんとペコペコの腹を満たそうと、タクシーの運転手さんに津軽の郷土料理の店に連れて行ってもらいました。派手な飾り付けをしていない静かな店で料理が美味しく、もちろん安いところという条件を話すと、「それだったらここだな」と連れて行ってくれたのが飲食店が集中している新鍛冶町にある「かぎのはな」という店でした。引き戸を開けてちょっと驚いたのが、8畳ぐらいの小さな板の間だけの店で夜も遅いため他にお客さんはいません。囲炉裏が三ヶ所に切られ、その横に70歳ぐらいのかわいらしいおばさんがちょこんと座っていて、どうぞどうぞと真っ赤におきた炭の暖かさがとても心地よい囲炉裏端に案内されました。今日はもうあまり料理がないんです、と言うのでそれを全部お願いしたら、「サワモダシ」「たけのこの煮付け」「とんぶり」「カタクリのおひたし」「じゃっぱ汁」と出てきました。それらをつまみに黒石の地酒をぬる燗でゆっくり飲んでいると、まるで田舎の親戚の家ででもくつろいでいるような気分です。後から五能線の著者青木建作さんに聞いたのですが、私が知らないだけで地元では昔から有名な店だそうです。この店をもう40年もやっているというおばあちゃんの手料理もとても美味しく、ずいぶん得をしたような気分になることができました。
(鐙)

「ゆきのまち幻想文学賞」受賞パーティーに参加してきました

 先週の土曜日、「第11回ゆきのまち幻想文学賞」の受賞パーティーに顔を出してきました。場所は青森市の八甲田ホテルで、途中八甲田山には雪が壁のように残っていました。壁の間をトンネルのようにドライブするのは不思議な気分です。
 受賞者の方々といろいろお話しすることができました。生まれて初めての応募で受賞した人、常連になっている人、他の文学賞でも何度か受賞している人、八戸市の現役高校生もいました。文章を書くのが苦手な私は「ラルート」やこの原稿を書くときでさえうまく書けず、いつも悩んでパニックになってしまいます。賞を取るような文章をスラスラ書ける人たちがうらやましい。
 受賞作をいくつか読んだのですが、ほとんどの作品が雪を「美しい」「楽しい」といったプラスのイメージで登場させているのが少し気になりました。ホテルへ向かう途中で見た雪中行軍遭難記念像や資料館で、雪の怖さをたっぷりと感じてきたばかりだったのも作用しているのかもしれません。
(富)

企画集団ぷりずむが発行する
「ゆきのまち通信」

No.30

谷川俊太郎(講談社)
クレーの天使

 「クレーの絵本」につづく第2弾である。好みの問題だろうが圧倒的にこちらの方がいい。クレーの絵と谷川の詩が響きあう詩画集なのだが「天使」の方は小生の好きなクレーのデッサン(鉛筆画)がたくさんはいっているからだ。この鉛筆で描かれたデッサンが好きで自分の部屋にも何点かクレーのポストカード(100円)を額装して飾っているほどである。時々何でこんなにいいんだろうとその額装したシンプルな線描を眺めることがあるのだが周辺にある色彩にあふれた天才たちの複製画と見比べてもクレーのシンプルな饒舌さの前には見る陰もない。
 一筆書きのようなこの線に込められた才能という名の人生が見る人の前に立ち上がってくる。不思議なほど喜怒哀楽がくっきりと表現されていてわかりやすく、見飽きず、豊かな気分にさせてくれるのである。こんな絵に出会ったのは初めてで、座右の書でもある。

このページの初めに戻る↑


backnumber
●vol.29 3月17日号  ●vol.30 3月24日号  ●vol.31 3月31日号  ●vol.32 4月7日号 

Topへ