Vol.330 07年1月6日 週刊あんばい一本勝負 No.326


悪夢のカバンの話

 去年の暮れ、自宅の倉庫を掃除していたら、なつかしい皮のカバンが埃まみれで顔を出した。写真を見ていただければわかるように正方形に近い、少し大きめのブリーフケースだ。私の仕事やライフスタイルとはおよそそぐわない高級感のある皮ブランド物(スイスのバーリー社製)である。実はこのカバン、買ったはいいが使っていない。さらに暗証番号を忘れ、あける事ができない。近所の腕のいい合鍵屋さんに頼むと、すぐにあけてくれたが、その間30分、代金は7千円だった。う〜ん、やはりこのカバン、呪われている。使うのはやめたほうがいいかも……。
 実はこのカバン、思い出したくない「個人的事件」と密接に絡まっている。使おうとするたびにその事件を思い出し、気がめいってしまうのだ。
 10年ほど前、ブラジルに取材に行った。何度もかの地には行っているのだが、いつもの成田発ロス経由の直行便にうんざりし、成田からミラノ経由でサンパウロまで行き、帰りはサンパウロからマドリッド経由、アムステルダム乗換えで日本に帰るというヨーロッパ周りの便を奮発した。事件は最後の寄港地アムステルダムで起こった。ポルトガル語やスペイン語、オランダ語(ドイツ語も)圏内の、日本人のほとんどいない空港を、でたらめ英語でなんとか潜り抜け、あとはJALのジャンボに乗って帰国するだけだった。その気のゆるみが出たのかもしれない。アムステルダム空港内ショップでこのカバンを見つけ、舞い上がった。確か700ドル近くしたのだが、1時間ほど逡巡して買うことにした。このカバンに気をとられている間、実は帰りの飛行機の搭乗時間は過ぎていた。サンパウロから乗り換えのたびに時差があり、その時間修正をしていなかった。「アーベン、アーベン」とヘンなアナウンスを何度も聞いたが、まさか自分の名前を呼び出しているものだとは思わなかった。なんかヘン、と気づきゲートに向かったときは、すでに時遅し、空港内職員の多くが私一人を探して奔走した。職員の後について走りに走ってジャンボ機にたどり着くと、飛行機は私を待って20分以上出発を見合わせていた。機内に入るやいなや、全乗客の冷たく怒りを含んだ視線が降り注いだ。スチュワーデスは私をまったく無視、隣の日本人乗客は、「あ〜あ」と露骨に嫌なため息を漏らした。針のむしろに座らされた10数時間のフライトの間、私は買ったカバンを胸に抱いて、カバンと無意味な会話を繰り返した。
 日本に着いて、外国ではあんなにかっこよく見えたカバンが浮ついて、大げさで、キザなシロモノであることに気がついた。どんなシーンで持ち歩いても浮いてしまうのである。それがわかって以来、カバンは倉庫に放り込まれたまま……という「物語」を持ったカバンなのである。いやぁ、新年にまったくそぐわないひどい話から今年をはじめることになってしまった。
(あ)

No.326

三位一体モデル(ほぼ日ブックス)
中沢新一

 期待して読んだのだが、よく意味がわからない。筆者は、謙遜も自慢も抜きに時代に対する感性や学問への理解力が人並みぐらいだとはおもっているのだが、まったく意味が取れない。本書を読んでいまさらながらロジックに弱い自分に反省しきりである。それでもくじけずに2度3度と読んでみたのだが、やっぱりよく意味がわからない。巻末にこの本を先に読んだ人たちの読後感というか座談会が掲載されている。こちらのほうは理論モデルの実践応用の報告書のようなものなので少しは理解の手助けになるが、基礎的なところで理解していないのだから、座談会も最終的にはよくわからない、というのが正直な感想。この本は糸井重里氏の「ほぼ日会社」でごく限られた聴衆を前に語られた連続講義の最初の回だけを活字化したもの。たぶん講義は面白く、その興奮を内輪でそのまま活字化したため、内輪ぼめにありがちな、現場にいなかった人に面白さがうまく伝わらない、という陥穽にはまった可能性も……。それにしてもほとんど理解できないというのは尋常ではない。前書きで糸井重里は「これを人間社会を考えるための<思考モデル>として使うと、いま自分の前に起こっているさまざまなことが、とてもよく理解できるようになる」と書いている。う〜ん大丈夫かジブン。

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