Vol.336 07年2月17日 週刊あんばい一本勝負 No.332


地方で出版は可能なのか?

 格差社会とか、地方切捨てとか、かまびすしい議論が続いている。データやエピソードを突きつけられると、なるほどとは思うのだが、社会的に孤立した閉塞的な場所で仕事をしているせいか、今ひとつピンとこない。
 世間的な現実味が乏しいのだが、小生らの社会とのわずかな接点とも言える「新聞広告」効果でみると、やはり格差というか地方の疲弊は歴然としているようだ。もう長い間、地元新聞(や東北各地の地元紙)の1面に全三段の広告を2ヶ月に1回打ち続けてきた。しかしここ2年、まったくその広告効果がないことがわかり、回数を減らす決断をした。もしかすると「出すタマ(出版物)」が悪いだけなのかも、と思ったりもしたのだが、以前はたいした本でなくても広告さえ出すとそれなりの注文はきた。やはり構造的な問題だろう。
 広告は版元が社会とつながる唯一の媒体である。地方紙出稿すべてやめるわけにもいかないが、軸足を大きくシフトさせ思い切って全国紙である朝日新聞の日曜日読書欄下の5段12割広告に定期出稿することにした。去年の12月からはじめて、まだ2回目なのだが、とりあえず1年間は続けてみる予定だ。
 地方紙から全国紙に鞍替えした理由はローカル色の強いテーマの本であっても読者は全国に散らばっている。いいかえれば地方から読者は消えている、という判断によるものだ。地域から確実に読者は確実に少なくなっている。これは間違いない。たとえば20年前なら秋田県内だけで4000部売れた地元本がいまは1000冊。4000部売れた頃は県外の読者のことなどまったく考えたこともなかったが、いまはそのかろうじて売れた1000部のうち400部が県外読者によって支えられている。この400部の人に読んでもらうために多大なコストを余儀なくされる時代に入ったわけである。
 これでは地方で出版だけで食べていくのは不可能である。それにしても過去2回の朝日出稿ゲラを見ていただくとお分かりだろうが、高額本ばかりである。これは広告料と売り上げ予想高を秤にかけた末の苦肉の策。朝日といえどももはや広告でバンバン本が売れるなんていう時代ではないのだ。
(あ)

No.332

セシルのビジネス(小学館)
長薗安洪

 作者が元「ダヴィンチ」編集長であることは知っていたが、もうこんな手錬の作家になっていたとは本書を読むまで知らなかった。32歳の女主人公が結婚記念日に夫から離婚を切り出され、あっさり承諾。実家の姉や母親の協力で、大学生を相手にした「テレフォンアドバイザー」というニュービジネスをはじめる話だ。主人公・聡子そのものよりも不倫相手の上司や姉、母、姉の娘といった脇役の個性が物語に輝きを与えている。もともと携帯ニュースサイトに連載された女性起業小説で、最初に掲載する媒体があり、その媒体によりあらかじめコンテンツ(テーマ)が制約された上で書かれた小説という限界も感じるが、何の制約もなく自由に書いていいといわれた作品よりも、往々にしてこのような制約の中で書かれた物語のほうが面白いケースが多い。「自由に書いていい」ということほど実は難しいともいえる。物語の展開や若い登場人物たちがいきいきと躍動しているが、全体としてはちょっと尻切れトンボ、登場人物たちの個性が定まり、ここから自由奔放に動き回り、読者を翻弄……といったあたりで物語は大団円的収束に向かってしまうのが残念。もっと読みたい。何ヶ所かにさらりと顔を出す著者の「本へのこだわり」もなかなか。主人公の趣味であるメモ帳に書き込んだ「箴言集」も影の主人公といっていいかも。

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