Vol.374 07年11月17日 週刊あんばい一本勝負 No.370


吉兆の「吉」は「土」なのか「士」なのか

 いつも山の話で恐縮だが、この週末、もっとも楽しみにしていた「六郷温泉あったか山と湯田峠」の山登りと峠歩きの旅が中止になってしまった。週末の天気が悪そうなこともあり、参加者が小生一人だったため。ムチャクチャ口惜しい。が、誰を怒るわけにも行かないので、ぽっかりスケジュールの空いた週末に酒田市に行ってきた。1日目は月山をトレッキングするつもりだったがあいにくの雪。そこで六十里越街道歩きに変更。同行者は斉藤カメラマン。昔から出羽三山詣での道として、近世には庄内藩の参勤交代路にも使われた古道である。歩き始めるとピーカンの青空。汗ばむほどの陽気になった。
 次の日は同じく斉藤カメラマンと鳥海山麓の遊佐町の二の滝周辺をトレッキング。斉藤さんは昆虫の専門家なので蛾や蝶々のことをいろいろ教えてもらう。まあそれにしても鳥海山の懐は深い。帰り道、遊佐町の直売所の食堂で食べた「金俣そば」のおいしかったこと。どうってことのない食堂で、おまけにざるが850円と聞いて驚いたが、値段の価があるそばだった。

 それにしてもあいつぐ食品の偽装事件にはあきれるしかないが、小生が関心あるのは菓子の「吉兆」(本当は土なのだが、パソコンでは土の「吉」はでてこない)の「きち」という漢字。「よしだ」の「よし」も「きっちょう」の「きっ」もどちらも「吉」(士を使う)になってしまったようだ。船場吉兆の称号は商標ロゴで明らかなように土の「よし」である。その「土」を意識的に使っているのはNHKや民放の数社のみで朝日新聞はすべて「吉兆」といったように「士」をつかっている。あきらかに商号上まちがいだと思うのだが、知り合いの朝日の記者に問い合わせると、これで統一しているから問題はないとのこと。同じ朝日の紙面には牛丼の吉野家社長のインタビュー記事が出ているが、こちらの「よしのや」の「よし」は「士」の「吉」。これは意外にも吉野家の商号だそうで、これが正しいのだそうだ。だとすれば船場吉兆も「土」にすべきだと思うのだが、「土」は使わず「士」でまちがいないというのが朝日の見解のようだ。しかし今回の吉兆問題は常に「吉兆」という達筆な看板文字が画面に登場する。いやがうえにも「土」の「よし」という字が目に付くから、どうにも割り切れない気持ちだ。ちなみに政治家・吉田茂の「吉」もやはり「士」だそうだ。
(あ)
酒田市内のホテルの窓から明け方、ものすごい数の白鳥が鳥海山 方面に飛び立っていった
新種の昆虫を発見! といろめきたったらタネにカビが生えたものだった
六十里越街道の古道を歩く

No.370

参勤交代(講談社現代新書)
山本博文

 「参勤」という言葉は、もともと中国では諸侯が天子に拝謁することだそうだ。日本では東西の大名が交互に江戸に参府することを意味する。拝謁という服属儀礼自体はどこの地域、いつの時代にもあったのだが日本のような「隔年参府」というのは特殊で、豊臣秀吉の時代にはじまったのだそうだ。各地に戦国大名が割拠した室町時代に中央政府の統制は崩れ、これを統合するため秀吉は各大名同士の紛争をやめさせ、代わりに「御礼」に来させた。それが参勤交代である。参勤交代のいい面は街道整備が進んだこと。そこを通じて金も情報も流通したこと。たとえば浮世絵は江戸勤番武士が国許への土産に買い求め、広まったものだ。さらに藩主を江戸の儀礼社会に組み込み藩政から遊離させた。武士たちも江戸を見ることで視野が広がり、近親婚姻を防ぐ役割も果たした。秀吉が健在だったころは江戸だけでなく大阪や家康の移った駿府にまで参勤する制度があったというのは驚いた。なにせ人と馬の宿泊費だけでもかかる費用は数千万円、佐竹氏20万石クラスの大名でも1000人以上の人間が移動したという。行列は藩の家臣や家来だけで構成されていたわけではなく、その三分の一は「通日雇」と呼ばれる人足によって占められていて、飛脚問屋に加盟する専門の業者が人材派遣を請け負っていたのだそうだ。

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