Vol.383 08年1月19日 週刊あんばい一本勝負 No.379


「今度はわたしが母に貸す」

ある1日のこと。朝8時半前に突然、印刷所の秋田営業所長がやってきた。9時過ぎなければ誰も出舎してないことを知っいるはずなのに、失礼なやつだなあ、と思ったら、会社のえらいさんの新年あいさつ回り。長い付き合いなんだから「あそこは朝早く行っても誰もいません、午後からでも」と配慮してほしかったのだが、客よりも上司の事情に気兼ねしたのだろう。
その2時間後、今度はまったく付き合いのない市内の印刷所の女性が「出版のことで相談がある」とアポなしで突然来舎。仕事の話だと思って応対したが、どうやらただの営業。一人で考え事のできる朝の貴重な時間をとられ、無性に腹がたつ。イラつく日だなあ、と腐っていたら1本の電話で救われた。仙台の元大学教授からのもので、「福島に住む同僚教授が亡くなり、その遺書に〈自分の遺稿は無明舎から出版して欲しい〉とあったので相談に伺いたい」という電話だった。亡くなったのは東北の中世史を研究する高名な先生だった。これは出版社冥利に尽きる朗報、前の不快な二つの出来事は帳消しになった。

それにしても毎朝、新聞を読みながら広告がどんどん下世話でインチキ臭い会社や商品に独占されつつあることに、不快感を覚えているのは私だけだろうか。うさんくさい健康食品やインチキすれすれの通販商品の類が全国紙の1ページ全面をつかって読者に襲い掛かってくる。新聞やテレビがこれからどんどん下降線に向かい、経営も厳しくなるのは自明の理だが、それにしてもこの広告の質的低下は、その象徴以上のものがある。ある日、1面広告に「食べる物に、世界一臆病な企業でありたい」というコピーが、牛が牧場で草を食む写真とともに載っていた。ファーストフード・チェーン店を多数展開する企業の広告だ。ウソっぽく、奇をてらった、品のないコピーだなあ、と思ってスポンサー名を確認すると、コピーとは正反対のことをしている可能性がもっとも高い企業だったので、笑った。同じ日の別の紙面には筑摩書房の広告もあった。そのなかに「ちくま日本文学」のコピーはこうだ。「今度はわたしが母に貸す」。う〜ん、うまい! このぐらいのセンスのいいコピーを考えてみろ、と言いたいが、無理だろうな。
(あ)
酒田市街の眺望。遠くに見えるのが最上川
後ろに見えるのは国宝・羽黒山の五重塔です

No.379

ヒマラヤにかける橋(みすず書房)
根深誠

 根深さんが地元・弘前のミニコミ誌に書いている随想を読むのが毎月の楽しみだ。本業の山についてよりも、弘前市民への強烈なカウンターパンチや、近所の騒音オヤジとの壮絶なバトル(裁判までいきそうになるのだ)がめちゃめちゃ面白い。日常の本音トークを、根深さん独特の正義感で、一刀両断、フルスロットルで、その論理を展開している。山についてもプロ中のプロの書き手であり、原則を曲げない誇り高いアルピニストである。そのぶん面白みに欠けるのも事実だが、本書のような壮大なドキュメントも書くから芸域は広い。本書は、ネパール西北部のチベットとの国境に近い標高4300メートルの村に鉄橋を架ける話だ。近傍の街からでも、この村に行くには5日もキャラバンを要する。そこに政府やNGO組織に頼らず、村人のために著者が3年がかりで鉄橋を架設する、という話だからスゴイ。前述のミニコミ誌でも、しょっちゅうネパールに出かける記述があったが、そうか、こんな物語を紡ぐために出かけていたのか。橋そのもの建設費は100万円もあれば出来てしまう小さなものだが、そこまで器材を運ぶ運送費や、本人が出かけたりするための交通経費が建築費より何倍もかかってしまうのだ。たぶん日本なら1週間もあれば着工から完成まで見届けられる作業が、このヒマラヤの村では3年もかかってしまう。この理解しがたいプロセスを、描いているノンフィクションである。

このページの初めに戻る↑


backnumber
●vol.379 12月22日号  ●vol.380 12月29日号  ●vol.381 1月2日号  ●vol.382 12月12日号 
上記以前の号はアドレス欄のURLの数字部分を直接ご変更下さい。

Topへ