Vol.395 08年4月12日 週刊あんばい一本勝負 No.391


右ひざ・アーカイブ・本屋大賞

ぶつけたり、ねじったりしたわけでもないのに、寝て起きたら右ひざが痛み出した。4日前に雪の稲倉岳(秋田側からは冬しか登れない)を5時間も登り続けたので、その筋肉疲労だろう(それにしては4日後というのが腑に落ちないが)とタカをくくっていたが、痛みは止むどころか日を追って激しくなり、10日以上経ついまも、猛烈に痛い。そのおかげで今週はどこにも出かけず、ずっと事務所に閉じこもっていた。調べものをしたり、来客の応対をしたり、原稿を書いたり、ゲラのチェックをしたり、いつも繰り返していることをやっただけだが、一昔前に比べて一日にこなせる仕事量が半分くらいに減っていることに気がつき愕然。さらに根詰めて仕事をすると午後の五時前にヘトヘトになってしまう。以前なら二日あれば決着をつけられた仕事が4日以上かかってしまうのだから衰えは否定しようがない。
出版業界も激しく動き続けているようだ。驚いたのは雑誌『広告批評』が40周年を迎えたのを期に、廃刊だそうだ。いい読者ではなかったのだが、編集長が秋田出身の島森路子さんだったこともあり、気になる雑誌ではあった。経営的に破綻したわけではなさそうなので、役割を果たしたので消えていく、ということなのだろう。これは「時代」を感じてしまうなあ。
もうひとつ気になるのは、国の知的財産戦略本部で検討されている「国会図書館のアーカイブ化」。国会図書館に納本された出版物をデジタル写真にとって保存し、提供しようというものだが、これはちょっと驚きましたね。私たちのつくる小部数の本は図書館がある程度購入してくれることを前提に出版されている。それがこのシステムが成立すれば、ほとんど図書館での購入が見込めなくなる可能性がある。だから、あんまり認めたくないシステムではあるが、これが時代の流れ、といわれると、う〜んと考えこんでしまう。まあ、現段階ではいろんな問題が山積しているので、これから議論になっていくことだろうが、無関心ではいられない話題だ。
いまや直木賞よりも注目度が高く、書店の売れ行きもいい、といわれている「本屋さん大賞」、今回の受賞作は伊坂幸太郎『ゴールデンスランバー』に決まった。たまたまだが、伊坂の本と同時に、今年の大宅賞をとった城戸久枝著『あの戦争から遠く離れて』も買って読んでいた。自分の買った本が賞に選ばれると悪い気はしないが、伊坂の本はルンルン気分で楽しく読了したわけではない。正直言ってあまり意味がよくわからず、よく最後まで読み通せた、とおもったほどである。前作の『アヒルと鴨のコインロッカー』も実は題名の意味すらわからず読了した。同名の映画を観て「あれ、こんな面白いストーリだったんだ」と感心する始末で、いわば見栄で読了したようなもの。たぶん『ゴールデン〜』も面白いストーリーなのだろうが、寝る前に読む読書の集中力が散漫になっている結果である。さらに老いて理解力が確実に衰えているのも間違いない。 悲しいけれど、現実だからしょうがない。
(あ)

No.391

ぼくらの地図旅行(福音館)
那須正幹+西村繁男

 小学生中級からの「かがくのほん」シリーズの1冊だ。内容は小学5年生のシンちゃんとタモちゃんが、中辻から野浜の岬まで(架空の町だが山口県のとある町をモデルにしている)約12,3キロを地図片手に歩きとおす絵本だ。実は山に登るようになって、自分がまったく地図を読めない方向音痴であることに「あせり」のようなものを感じていた。地図が読めるようになれば、いつか一人で山に登れるようになるのでは、という夢もそれに拍車をかけた。何冊か地図や方向音痴の本を読んでみたが、しっくりこない。そんなときのこの小学生用の大型絵本に出合った。ビックリした。基本がきっちり抑えられていて、とにかくわかりやすい。シンちゃんとタモちゃんの冒険物語に付き合いながら、自然に地図の基本が身についてしまうのである。これぞ本の「真髄」である。
 読み始めて、何ページか進んだところで、この本に根本的な疑問を感じた。大きな地図をテキストに子どもたちが、ああでもないこうでもない、と議論するのだが、肝心の地図の「北」がどこにも表記されていない。それなにの「西へ進もう」などという台詞が出てくる。「このへんは絵本としては失格だなあ」と落胆していると、突然、「ところで北はどっち?」という台詞が出てきて、ようやく「基本的に北の表記がないときは地図の上が北」と知ることになる。いやぁ恥ずかしい。

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