Vol.414 08年8月23日 週刊あんばい一本勝負 No.410


塩クジラのナス貝焼きについて

 このところ二度ほど外食したのだが、たてつづけに「クジラのナス貝焼(かやき)」が出た。塩クジラとナスの味噌煮のことだが、ま、秋田の夏の名物料理だから出ても不思議はない。が、これまで居酒屋で「クジラのナスかやき」を食した経験が少なかったから、ちょっとビックリした。なにせこれまで合計五回ぐらいしか食べたことのない料理が10日間に二回も続いたのだから、驚くのも無理はない。ちなみにこの料理、生まれた湯沢ではほとんど食べたなかったから、県内でも食べる地域と食べない地域がはっきり分かれているようだ。
 偶然とはいえ「二回も続いちゃった」ので、その由来でも調べようと思ったら、日経新聞の記者から「秋田のクジラかやきの取材をしたいので会ってもらえないか」というメールが入ってきた。人生って偶然の連続ですね。わざわざ東京から来てもらっても「何にも知らないので」と断ったが、試食するのが取材のメーンで話はサブ、ということで引き受けた。
 そんなこんなで「クジラのナスかやき」についてボソボソ古い文献などを当たっているのだが、居酒屋のいたるところに「秋田のかやき」なるのぼりがたっているのに気がついた。県の観光課あたりが音頭をとってやっている「活性化」運動のひとつなのかな。
 ある県外の人から「秋田の食べ物で〈ノカ焼き〉って名物料理があるそうですが、どんなものですか」と訊かれた。これがどうやらその「秋田のかやき」ののぼりのことのようだ。同じ書体で文字の強弱もなく平仮名を平板に並べられれば、県外の人が「ノカ焼き」と誤読するのは不自然でない。常識的に考えれば「秋田の貝焼」にして字面だけで意味がわかるように配慮し、「貝焼」に「かやき」とルビをふるのが親切だと思うのだが、そうした言語感覚はないようだ。こんなところにお役所仕事というか、だれも真剣に勝負をしていない「ゆるさ」を感じてしまうのは私だけだろうか。
 街道歩きの仲間のTさんから、家庭菜園で取れるたくさんのゴーヤと巨大な夕顔(ウリ科のつる性一年草)をいただいた。夕顔は2歳児の赤ちゃんくらいの大きさで、料理屋で食べたことはあるが自分で料理したことは、もちろんない。この夕顔を見てすぐ「塩クジラと煮て鍋にしよう」と思ったのは「クジラのナスかやき」のことを調べていたからである。新潟ではクジラ汁なるものがあり、塩クジラとこの夕顔を味噌で鍋にする料理がある。あっさりした夏野菜とこってりしたタンパク源を、体力が消耗する夏の暑気払いとして食べる食習は日本全国にあるようだ。それにしてもクジラの皮を塩蔵してタンパク源や調味料的な使い方をする先達たちの暮らしの知恵には脱帽するしかない。
(あ)

No.410

ひとり旅は楽し(中公新書)
池内紀

 来年、還暦を迎える。まだ1年も先なのだが、「来年の6月20日、中学の還暦祝いやります」という電話連絡がつい先日あった。いやはや驚いた。同級会といえば厄年の時出席したのが最初で最後だ。なんとなく違和感があったのだが、行かないのもなにか偉ぶっているような感じで、出席した。やはり違和感はぬぐえなかった。今度はどうしようか。できれば出たくないのだが本書を読んで決断を下せた。本文に2度にわたって「同級会」に触れた文章があるのだ。
 「権力とか権威がキライで、イバりたがる人には、なるべく近づかない。群れるのも好まなかった。同級会やクラス会、何かと仲間で昔がたりをしたり、気炎をあげたりするのも性に合わない。過去はなつかしく、たまに仲間に会うのはうれしいが、なるたけひとりでいたい」――。好きで尊敬する池内紀がこう言っているのだから欠席で決まりだ。本文中にもう1箇所、「同級会は苦手だ」と書いている。池内は、何十度も案内をもらったが、とうとう1度も出なかったという。「たまたま同じ年に同じ学校にいたというだけで旧交をあたためあうのはヘンだし、なんの必然性もないのに集まってワイワイいうのはこっけいだ」と。同窓の縁でむつみあうのは「ぬくもりの残ったトイレに腰掛けるような不快感がある」というのだ。

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