Vol.442 09年3月7日 週刊あんばい一本勝負 No.437


増刷と復刻と注文発送

 このところ出す本の多くを増刷している。
 喜ばしいことに違いないが、実はもともとの初版部数が極端に少なかったことによるもので、あまり喜んでばかりもいられない。増刷しただけ赤字になる、という本のケースも出てくるからだ。
 だったらもっと初版部数を刷ればいいのに、と言われそうだが、これまでの販促の経験などから導き出した数字であり、そう簡単ではないのだ、これが。
 結果は「部数をしぼりすぎ」で、けっきょくまた費用をかけ増刷することになり、初版で上げた利益を帳消しにしてしまうのだが、ホント部数決定は難しいんですよ。
 最近の出版傾向として「復刻」が多くなっているのが、大きな特徴だ。正確には復刻というより増刷なのだが、その多くが30年近く前に出した本なので、「増刷なのだが、実質的には復刻」のようなものである。時間がたちすぎているのだ。それと今昔の印刷事情も深く預かっている。印刷の技術革新と低コスト化がある。印刷代は昔と比べればずいぶん安くなった。そのせいもあって小部数でも気楽に復刻(増刷)が出来るようになったのだ。
この復刻(増刷)本は販促宣伝の上手下手で売れ行きが見事に影響を受ける。具体的に言うなら、宣伝材料(パンフ)のつくり方、がそのすべてといってもいいほどだ。なぜいま復刻(増刷)するのか、いわばその現代的な意味をしっかりとアピールする必要があるのだ。
 先週出した愛読者DMの返信注文が、今週から届きだした。
愛読者通信の返信のピークは最初の1週間、ここで全体の8割の注文が集中する。今週はその発送作業に忙殺されたわけだが、それぞれが抱えているルーチンワークもあり発送作業だけに集中できるわけはない。そんなこんなで大変な1週間だったが、これは「うれしい忙しさ」だ。疲れよりも「もっとこい忙しくなって」と祈りたくなる。昔はこの時期になるとアルバイトに来てもらったこともあったほど。わが舎にとっては読者と直接の結 びつきを実感できる貴重な時間でもある。
(あ)

No.437

幕末史(新潮社)
半藤一利

 あのベストセラー「昭和史」の続編である。面白くないはずはない。個人的にも、いま最も興味あるのが「幕末」だ。戊辰戦争でなぜ秋田藩は新政府軍に寝返ったのか、そんなことに興味引かれて戊辰関係の本を読み漁っている折に、運良くこの本が出た。「昭和史」同様、本の造り方(編集)はまったく同じ、著者の講演記録に手をいれたものである。でも「昭和史」は確か版元は平凡社、今回は新潮社なのは、なにかいきさつがあったのだろうか。それはともかく、本書も無類の面白さだった。「昭和史」よりも個人的にはドラマチックで面白かった。歴史ものの本には珍しく「自分は薩長の暴力革命にいい印象は抱いていない」ことを明言して、この本を語りおろしているのはフェアーで気持ちいい。本書では戊辰戦争にはさしたるページを割いていない。このへんのバランス感覚も好感が持てるし、明治の元勲たちへの好き嫌いが実にはっきりしていて、そのことが逆にある種の信憑性を本書に持たせている。この歴史の語り口調、講談調は、以前にも読んだことがある。司馬遼太郎だ。NHKテレビでしゃべった内容を本にした『「明治」という国家』(上下巻)である。著者はたぶんこの本をずいぶん意識しているのだろう、本文にも司馬遼太郎のことが何回となく出てくる。

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