Vol.444 09年3月21日 週刊あんばい一本勝負 No.439


12歳の編集者

 ここ数年、教育現場で「職業」や「仕事」に関するカリキュラムがあるのだろう。職場訪問とか仕事の課外発表のために訪ねてくる中高校生が多い。
 「出版・編集」という職業は田舎では珍しく、秋田ではうちぐらいしかないから、たぶん先生たちもうちを推薦というか指導をしているのだろう。たいがいは最初に電話で先生から打診があり、そのあと生徒に代わり訪問の趣旨が述べられる。この段階で、どの程度の熱意を持って生徒がうちを訪ねようとしているのか、それぐらいはわかる。要するに教師に強制されて来るのか、授業の一環だからしぶしぶなのか、本当に興味を持っているのか、透けて見えてしまう。
 出版・編集の仕事に興味を持ってくるのはうれしいのだが、事前にこちらのことや出版の基本的な勉強をしているように見えない子供たちが、ほとんどである。これは重要なことだが、子供とはいえそれは職業や訪問先にたいして失礼だ、ということをまず最初に教師は教えるべきだろう。子供だから、と甘やかす気持ちはこちらにはない。だから向き合ったら対等に真剣に質問に答える。
 そんなこんなで子供たちの職場訪問は「お断り」するケースが多かったのだが、去年暮れ、電話をかけてきたTさんにはちょっと違った印象を持った。Tさんは近所の小学校6年生のお嬢さんなのだが、「将来、編集者になりたいので、お話を伺いたい」と毅然として断言。その後で電話に出た教師のほうが、うちのことも出版に関しても何も知らない感じなのだ。
 「面白そうな子だなあ」と会ってみると、「これがほんとに小学生?」というほど、しっかりしている。質問内容のレベルが高いし、全く的を外さない。「絶対に編集者か翻訳家になります」というゆるぎない信念を持った小学生なんて、初めて会った。いやぁ驚きましたね。Tさんはその後、卒業論文に小舎のことを書き、そのレポートの抜き書きを送ってきた(この訪問後のケアーを全くしない子が多いのだ)。文章がしっかりしているだけでなく視点もユニークで「見事」の一言。こんな小学生がいるんですね。
 彼女が望み通り編集者になれるかどうか、神のみぞ知るだが、活字離れや本離れがますます加速していくだろうこれからの世の中で、本や編集という仕事に失望せず、興味を持ち続けてくれることを祈るしかない。
(あ)

No.439

椿園記・妖怪譚(講談社)
杉浦明平

 昭和44年に出た箱入490円の本である。最近そういえば箱入の本を手にすることがめっきり少なくなった。上製本まではまだなんとか大丈夫だが、「本を箱に入れる」という文化的価値観は現代の市場原理の外にあるのかもしれない。もう通用しないコストパフォーマンスなのだ。それはともかく本書の題名の「椿園」とは江戸時代の思想家・佐藤信淵のこと。幕末のことを調べていて、わが郷里の英雄信淵についても何も知らないことに気がつき、遅ればせながらネット古書店でこの本を探し出したのだ。本書は小説だが、このイダイな思想家を、徹底的にコケにしている。ほら吹き、エゴイスト、頭の粗雑な田舎モノ、といった信淵像が、おもしろおかしく描かれている。わが秋田ではいまも偉人として尊敬されている人物だが、この評伝を読む限り、かなりいい加減な、行き当たりバッタリ、口八丁手八丁のサギ師、という説には信憑性がある。明治維新後、信淵の思想は明治政府の官僚に注目され、大久保利通などは江戸の改名に際し信淵が唱えていた「東京」という地名を採用した(という推測)、といった身びいき伝聞も地元にはあるのだが、にわかには信じがたい。思想家という範疇からははみ出た「異形の人」であるのはまちがいないようだ。

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