Vol.46 7月14日号 週刊あんばい一本勝負 No.43


柴田真紀子、国体出場へ

 日刊アルバイター柴田真紀子が今年の宮城国体への出場をものにしました。思えば無明舎の正社員として取材でカヌーに出会い、カヌー中心の生活に切り替えてから1年半での快挙です。国体は9月なので宮城まで応援に行く話も出ていますが、まずはとりあえず無 明舎恒例の「お祝い宴会」をこの11日、アジア食堂「ガドガド」で開きました。出席は圧倒的に若い女性が多く、男は小生と鐙の2名のみ。部外からは県立図書館の斉藤亮子さん、そのお友達の佐々木愛さんの2名です。この2人は小舎のつくる雑誌や本の表紙のモ デルを頻繁につとめてもらっているので慰労の意味も含んでいます。「ガドガド」は初めての店でしたがアオザイを着た若い女性たちが働くエスニックレストランで、けっこう本場の味で驚きました。2次会は「グランビア」でおいしいワインをたらふく飲み、おじさんは二日酔いで翌日、開店休業でした。しかし若い女性たちの食欲はスゲェの一言。
(あ)

宴会風景

最新ゲートボール事情

 市長選の投票を終え、東部公民館の裏口を出ると横のグランドで老人たちのゲートボール大会が開催されていた。その隅っこにテントのショップが出ているのが目に留まったので「なにを売ってるんだろう?」とのぞいてみると、なんと「ゲートボール用具専門店」でした。大会があるところどこにでも出かけて店を開く移動ショップである。店主はまだ若い夫婦で、彼らが話してくれる昨今ゲートボール事情が面白くて、ついつい長話をしてしまった。ゲートボールはけっこう用具代がかかり、ルールが複雑で、チームプレーであることも手伝って年々競技人口は減っているのだそうだ。今年秋田で開催されるワールドゲームズの正式種目にも入っているが、アジアの国々では高齢者のスポーツというイメージはなく若手のバリバリの選手たちが選ばれてくるのだそうだ。用具代は靴やクラブ、手首に巻く点数計、ユニフォームなど一式をそろえると2,3万円になる。最近はゲートボールよりもグランドゴルフの普及がめざましく、転向していく高齢者も多いという。ゲートボールの世界は取材すると深くて面白そうである。
(あ)

これが専門ショップ

来客ラッシュです

 「ケセン語大辞典」の著者山浦先生ご夫妻が秋田に来ました。息子さんが秋田大学医学部を卒業され秋田に住んでいるので、その新居のお祝いも兼ねての訪問だそうです。出版祝いもしたいとのことで小生と鐙が夕食に招待されました。翌日は「秋田のことば」CD −RMの打ち合わせのため 東京はボイジャーの北村、菅原両氏が来舎しました。その翌日にはインドから一時帰国している秋田大学医学部の遠田耕平さんとお会いしました。その後も県庁関係の人が何人か入れ替わり立ち替わり事務所を訪ねてきました。外は市長選のまっただ中で参院選の準備も水面下ではじまっており、かまびすしい1週間でした。本を作る仕事は一段落、小康状態なので時間はたっぷりあるのですが、人と会うのもけっこう疲れるものです。
(あ)

プロジェクトXには驚いた!

 NHKの人気番組「プロジェクトX」の今週のテーマは「白神山地 マタギの森の総力戦」。林道阻止の先頭に立った鎌田孝一さんが心臓病の妻を気遣いながら、青森のマタギたちと協力して国や県の自然破壊と戦い、勝利を収めてエンディングの中島みゆきの曲で視 聴者の涙を誘う、といういつものパターンで考え抜かれた構成ですが、あまりにうまく物語が作られているのに「ここまでやるか」と驚くやらあきれるやら複雑な気持ちで苦笑してしまいました。基本的にこの番組は戦後日本の発展を裏で支えた庶民たちの物語を「7人の侍」ふうに劇的に再現してみせることにあります。数多くの事件のなかからNHKのドラマツルギーに沿った事実だけがピックアップされ、巧妙で複雑に再構成され「単純なストーリーで必ず泣かせる」物語に作り替えられていく。テーマの本質に肉薄する強引さへの批判もあるが「面白く物語る」方法論として、実は編集者として大変に勉強になる番組であることも事実です。白神山地に関する本は出つくした感じだが、このプロジェクトX的な観点から企画を考え直すと、まだまだ物語りはいたるところに隠れているのがよくわかりました。
(あ)

これが白神山地

No.43

江国香織(集英社文庫)
いくつもの週末

  小説を読もうと思っても、それが新しい作家だったりすると「買って読んで面白くなかったらどうしよう」という気分になり、けっきょく読まずに済ませてしまったりする。それでも読んでみたいときは、とりあえずその作家のエッセイを読む。エッセイには当たり外れがあまり関係ないからだが、そんなこと(読書体験)を長年しているうちにエッセイを読むのがすきになり、これは本末転倒の感無きにしも非ずというところか。小説の場合、その世界に入り込むまで長い時間と静謐な空間が必要になるが、エッセイにはそれが必要ない、ということも大いに関係していると思う。最近、長大な作品にどっぷりと浸って喜びを味わうということがめっきり少なくなっているのは確かだ。江国を読むのははじめてである。面白そうな予感がするのでエッセイからはじめてみたのだが、サラリーマンとの夫の暮らしを、さすが「普通の人」ではない作家の眼で「普通」に書いている。こういうエッセイは素人は書けないと思う。小説も読んでみよう。

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