Vol.468 09年9月5日 週刊あんばい一本勝負 No.463


詐欺師親父とペテン師親父

もう30年以上も前のことだが気になる男がいた。2,3度しか会ったことのない同年代の男で、秋田市内で飲食店を経営していた。ある時、親しげに傍らに寄ってきて「あんたと俺とで秋田の若者文化を変えようよ」というようなことを言われ肩を叩かれたことがあった。意味がよくわからなかったが、ずいぶんなれなれしく、生意気で傲慢な男だなあ、と強く印象に残った。
その後、彼がどうなったかは知らない。まだ飲食店を続けているのか、それにしてはどこからも噂や評判を聞かない。こちらが還暦という年齢になったせいかもしれないが、ときどきあの生意気な男はどうしているんだろう、と気になっていた。どうってことのない通りすがりのペテン師のような男なのだが、個性が強いからなのか妙に気になってしまうのだ。

岸川真という若いフリーライターが書いた『蒸発父さん』〈バジリコ〉という本を読んだ。副題に「詐欺師のオヤジをさがしています」とあるのに惹かれた。映画学校に通う著者が卒業制作に選んだのは26年間会ったこともない親父を探す映画だった。「親父さがしロードムービー」である。親父探しを実録ドキュメンタリーとして撮ろうというのだ。その撮影の顛末をメイキング・ブックとして書いたのが本書だ。結果から言うと親父は見つからなかった。さらに本としても成功しているとはいえない。でも力のありそうな書き手である。(岩波ジュニア新書で『フリーランスという生き方』という本も書いている)今後に期待してみよう。

この本で、映画製作の撮影隊に応募してきた同じ映画学校のノブという若者が登場する。このノブは秋田出身、本のいたるところにノブとその親父の関係が登場する。ノブの親は著者同様「ろくでなし」で、借金を抱え家族を捨てて秋田から東京に逃げてきた。いまは都内で雇われ喫茶店のマスターをしている。この、著者の親父とは違うタイプであるノブの親父の物語のほうが、ハラハラドキドキで面白い、というのは皮肉だ。

このノブの親父、秋田市で商売していたころの店名が実名で出ていた。それで気がついた。あの30数年前の生意気で傲慢な「若者」だったのである。
本の最後で、雇われマスターをつとめる親父の喫茶店に、著者と息子であるノブが訪ねていく場面がある。本題とはあまり関係ないのだが、久しぶりに会った息子に、なんとこの親父、待ってましとばかりに息子の有り金を強引に巻き上げてしまうのだ。いやはやすごい。
30数年前、不快に感じたペテン師特有の男の強引さは、時間の風化に耐え、いまもりっぱに生きていた。こんな形の「再会」もあるんだねぇ。
(あ)

No.463

商人
(集英社)
ねじめ正一

 この本は面白い。内容はもとより小説としての構成も、破たんのない筋書きも、丹念に描かれた細部描写も、申し分ない。以前に書かれた「落合博光」についてのドキュメントもめっぽう面白かったが、それとはまるで土俵が違う。歴史小説であり、時代物という特殊な知識や技量を必要とされる世界を描くエンターテイメントである。文章はうまいし、小説家として「てだれ」の感さえ漂っている。物語に大きな事件(奇想天外な)が起きないのは、ある古文書の事実を下敷きにした小説だからだろう。ドキュメンタリーの側面があるといってもいい。「江戸商人の心意気」がテーマであれば、フィクションの入り込む余地が大きく、どうしても物語を作り過ぎてしまう。本書は淡々と静かに物語が進行するところにリアリティがある。巻末の出版広告に、著者の書いている「眼鏡屋直次郎」や「シーボルトの眼」と言った時代小説が載っている。なるほど、この分野でもちゃんと実績を残しているのか。本書は雑誌「すばる」に連載短編小説として五年近く書き継がれたもの。一冊の長編小説として読んでも見事な出来栄えである。物語の背景には「高津文書」と言う古文書の存在がある。この存在が正確な時代背景や人物描写につながっている。

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