Vol.493 10年3月20日 | 週刊あんばい一本勝負 No.487 |
偽書「東日流外三郡誌」の世界に思うこと | |
2年程前、ひとり車を運転、八甲田山に登ろうと向かったが、途中で道に迷ってしまった。八甲田周辺の田舎をぐるぐると回りながら、道端で見かける老人たちのかなりの人たちが口髭を生やしているのに気が付き、驚いた。一人二人ならともかく、たまに見かける三分の一くらいの老人たちがことごとく口髭をたくわえ眼光鋭かった。失礼な言い方だが、とても「純朴な農民」とはおもえない風貌が、印象的だった。 ある日テレビで、あの八甲田の田舎で見かけた口髭老人たちの「原型」をみた。どこかの街の選挙風景だった。知っている方も多いと思うのだが豊臣秀吉のご落胤を自称、「羽柴秀吉」を名乗って全国各地の首長選挙にかたっぱしから立候補している御仁だった。青森訛りのきつい、眼光の鋭い、泡沫候補といわれる人である。自己宣伝なのだろうか、それとも本気で豊臣秀吉の生まれ変わり、と信じている人なのだろうか、不可解な人物である。財政破綻した夕張の市長選では、なぜかその泡沫候補扱いから抜け「当選圏内」(結局は落選したのだが)と報道されるまでになっていたのには、あきれるやら驚くやら。この羽柴さん、そのアクの強さもあって、「典型的な青森人」と見る人が多い。ようするに青森にしかいないタイプの人間、といっていい。 その青森の新聞社である東奥日報社の記者が書いた『偽書「東日流外三郡誌」事件』(新人物文庫)という本を読んだ。ヘタなプロの推理小説よりもずっとスリリングで面白い本だ。和田喜八郎なる稀代の詐欺師による「謎の古文書」のとんでもない正体を丹念に暴いていくルポである。和田氏が発見したという謎の古文書「東日流外三郡誌」は、実は本人がマンガやテレビでの見聞や超古代史の本をコピペし書きなぐっただけの、かなり幼稚なシロモノ。彼自身、歴史愛好家や地方自治体をだまして金儲けをする「古代史ゴロ」の詐欺師と評判の人物だった。こんなインチキ本と怪しげな人物になぜ多くの人たちが簡単にだまされ、熱狂し、論争まで起きたのか。不思議と言えば不思議である。著者は最後の「背景」の章で、この理由を見事に分析している。背後には「偽史を産み落とす厄介なローカリズムの存在」があった、というのだ。 大和朝廷成立以降、東北とりわけ青森は常に征服・搾取の対象でしかなかった。「とりわけ」と書いたのは、彼らが朝廷という名の渡来系の「弥生系勢力」に抵抗し続けた、列島先住の唯一の「縄文系勢力」だったからだ。そのころ朝廷によって「蝦夷征伐」のために築かれた東北地方の城柵は22カ所、その最北端が岩手の志波城と日本海側の秋田城(出羽柵)で、この2つの城柵を東西に結ぶラインが古代日本政府の最大進出範囲つまり「日本国」の北限だった。この城柵より北には城柵は築かれず中央政府の政治権力が届かなかった。朝廷によって「日本民族」の一員になることを強いられ、やがて蝦夷の多くは律令制度の中に埋没していくのだが、最後まで抵抗を続けた蝦夷たちの「もうひとつの日本」こそが、青森だったのである。 青森にはなぜ中央集権が及ばなかったのか。去年うちから『平泉藤原氏』を出版し、今年突然亡くなられた蝦夷研究の第一人者・工藤雅樹先生によれば、それは「当時の中央政府がコメのとれない世界を支配するノウハウをもっていなかったから」だそうだ。お隣中国に手本も求めた農業を基盤にする統治システムである律令制度をつくった中央政府は、コメを租税や年貢にする支配体制にこだわっていたため、狩猟と雑穀に重きを置く蝦夷に対して、まったく有効な統治システムを持てなかった、というのだ。 いまも、青森の人たちにとっては「素晴らしい自分たちの自然と歴史が大和朝廷によって台無しにされた」という被害者意識が強い。12世紀の末の鎌倉武士たちにより強制的に日本民族たることを強いられ、最後にはその「稲の王権」に屈したものの、八百年以上が過ぎた今も、津軽人たちの血には「征服されたものの恨み」が流れている。さらには近代では奥羽越列藩同盟として朝廷の征伐の対象になり、明治政権下では良質な兵士の供給地として利用され、21世紀のいまも中央からの核燃料廃棄物を押しつけられる――。 「戦後最大の偽書」を生み出す背景は、そうした土壌のなかにあった、と著者は言う。閉鎖性とコンプレックスに満ちた風土に実は古代、偉大な津軽王国があった、という「東日流外三郡史」の物語は、青森の人たちにとって、それだけで有頂天になり、盲目的に信じてしまう価値のあるストーリーだったのである。さらにインチキな古文書の神秘性を担保していたのは、三内丸山や亀ヶ岡遺跡に代表される日本でも最大級の縄文遺跡であり、恐山のイタコや哀調を帯びた津軽三味線といったバックグランドに流れる音楽であり、「青森なら何が出てきても不思議ではない」と思わせる前近代的な空気だった。尖鋭的な古代遺跡と歴史的な後進性、このアンバランスが色濃く残っているのである。その青森の言葉で「半可臭い」と言われる変人の系譜に羽柴秀吉も和田喜八郎も属している。面白いことに和田と羽柴さん、青森の同じ地域の出身者でもあるそうだ。 (あ)
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