Vol.504 10年6月5日 | 週刊あんばい一本勝負 No.498 |
四季の移り変わりを通信で | |
ようやく夏のDM(愛読者通信)を校了、印刷所に渡した。これで来週には印刷が上がり、また別のアルバイトの人たちの手で封入され、全国各地に配送される。年4回しかない作業だが、毎年繰り返しているうちに、1年の仕事のリズムを形作る重要な儀式のようなものになってしまった。 その昔、事務所の前には広々とした田んぼが横たわっていた。この田んぼで四季の移り変わりを否応なく実感することができた。田植え前の水を張った田んぼに夕陽が真っ赤な影を落とすと、まるで赤い鏡のような幽玄な風景が現出した。雪に埋まった田んぼでクロスカントリースキーを楽しんだこともある。稲が主役で彼らが演じる四季のメリハリは見事としか言いようがなかった。その美しさに魅せられ、『石井さんちの田んぼ』(朝日新聞社)という写真絵本まで作ってしまったほどだ。 その田んぼがここ数年でほぼ100パーセント姿を消した。アパート建築のためにつぶされたのだ。誰が悪いわけではない。これも時代の流れ……となかなか簡単には割り切れない。無念さもある。四季の風景に変わって登場したのはアパートに暮らす若夫婦たちの赤ちゃんの甲高い泣き声だ。仕事に集中できないほどひどい赤ちゃんもいて、泣き声というよりも悲鳴といったほうがいい。限界集落と言われる村では、「せめて赤ちゃんの泣き声のする村に」なることを願い続ける高齢者も多い、と聞いたことがあるから、あまり能天気なことは言いたくないのだが、田んぼの四季の移ろいの代償が、赤ちゃんの泣き声、というのでは、ちょっと割に合わない。 外がダメなら自分の裡に四季の移ろいをつくりだすしかない。 それが日本全国でうちの本を買い続けてくれている愛読者への、お礼の意味も込めた通信だった。自分に言い聞かせるように四季のそれぞれの節目に「春になりました」「暑い夏です」「好きな秋がやってきました」「雪山はすばらしい」と紙に刻みつける。文字で書くことで初めて季節の移ろいを脳裏に刻印しているのだ。 その通信も12号。3年がたった。今のような形になる前も数年間、粗末な形で出していたから、もう10年は続けている勘定だ。いつまでできるか、そんな不安もなくはないが、まあ、ゆっくり、トボトボ、やって行くとしよう。 (あ)
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