Vol.521 10年10月23日 | 週刊あんばい一本勝負 No.515 |
ドイツで考えたこと(下) | |
実は今回のメインの訪問先であるあるフライブルクという都市については、ほとんど予備知識がなかった。クラインガルテンや農家民宿について若干の知識があったぐらいだ。 フライブルクは人口約22万、秋田市によく似た気候風土の都市だ。ドイツといえば、すぐに思い浮かぶのはルターの宗教改革で、そのためドイツはプロテスタントの牙城だとばかり思い込んでいたのだが、ここ南ドイツは圧倒的にカトリックの多い地域だということも知らなかった。 それにしてもフライブルクの「パークアンドライド」には改めて驚いた。朝早く街を散歩していると、多くの市民がまだ暗闇のなかを自転車で白い息を吐きながら通勤していく。バスやトラムも満員だ。みんな郊外まで自家用車で出てきてもパークアンドライドで車を乗り捨て、トラムやバスに乗り換えて市街地へ向かう。その市街地の人ごみの多さは夜の仙台国分町並み。平日でも前をみていないとぶつかってしまいそうな混雑だ。とても22万都市とは信じられない。いやはや驚いた。 そのフライブルク市のことを、いろんな媒体に書こうと思っていたのだが、帰ってきて、近辺の人にフライブルク市のことを話すと、驚いたことに多くの人が「ああ、あそこ行ったの。おれも行ったことあるよ」と判で押したような返事が返ってきた。ええっ、フライブルクって、秋田ではそんなに有名なところだったの。 90年のバブル当時は市町村職員の「フライブル詣」というのは有名で言葉で、かなりの数の田舎の公務員たちが「公費(税金)視察出張」でこの街を訪れていたのである。オレは一周遅れのランナーか。そういえばツアーに付いてくれた通訳やコーディネーターの方々は見事なほどツアー客のあしらいに長けていた。かゆい所に手の届くアテンドである。後からフライブルクの日本人に聞いたところ、90年代はあまりに日本からの視察旅行が多いため通訳の仕事で豪邸を建てアシスタントも多数雇っていた人もでたくらいだそうである。 そんなこんなでドイツのことを書いたり話したりする気力が一挙に萎えてしまった。と同時にもうひとつ、こんなこともあった。 ドイツ旅行を終え、成田に着き新幹線でわが家に到着したのは、その日の夕方だった。翌朝朝5時に起き、前から予定に入れていた奥宮山(おくみやさん・760m)に登った。時差ボケ解消にはちょうどいいハイキングのつもりだった。奥宮山は県内の山好きでもたぶん知らない無名の山である。登ったことのある人は地元住民を除けばごくわずかなもの。中世、秋田県南部を領有した小野寺氏配下の落武者が拓いたといわれる湯沢市皆瀬の若畑集落に登山口がある。広葉樹林の急斜面を登るとすぐ稜線に出る。そこからヤブ道をたどると急峻な岩尾根があらわれ、ロッククライミング並の登りが続く。南北に切れ落ちた岩稜はスリリングで低山ながらあなどれない。登りに2時間、下りの2時間という、なんとも魅力的な「2時間で味わえる北アルプス」のようなスリリングな低山だった。 その山頂で考えた。秋田県民にとって、このアドベンチャー満載で村人の信仰がつまった秘峰と、ドイツの環境先進都市フライブルクの知名度は、どちらが上なのだろうか、と。 異国の都市計画や環境政策を学ぶのも大切だが、身近な足元の宝ものを、この日まで私自身まったく知らなかったのだ。それが少し恥ずかしかった。 (あ)
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