Vol.523 10年11月6日 週刊あんばい一本勝負 No.517


映画・東京・居酒屋「行かない」づくし

ここ数カ月、まったく映画を観てない。映画館には行かないし、レンタルショップにも足を向けない。ネットでも借りないし、テレビ放映映画も観る気がしない。観たいという欲望がふしぎにも起きないのだ。ドイツ旅行の機内ではしょうがなく何本か観たが、どうにも全身をフィクションの世界にゆだねるだけの「心身の余裕」がないのかもしれない。観たいなあと思う映画もほとんどない。あッ、「トイレット」は観たいか。でもこれはなかなか上映館を探すのが難しそうだ。ウディ・アレンの新作も観たいけど、どうなってるのかな。

映画だけでない。東京にもほとんど足が向かなくなった。興味がまったくなくなってしまったのだ。あの刺激的な街に身を置くことの重要性をシュミレーションしてみたりするのだが、夜、ホテルに帰って密室で10時間近く過ごすのは、どう考えてもウンザリ。これは今年前半に自分の寝室を徹底的にリフォームして、ここで過ごす時間がすっかり「たからもの」になってしまったことも影響している。

居酒屋にも行かなくなった。あの若者の行く居酒屋のチェーン店がいっときおもしろいなあ、と思って通ったこともあるのだが、やはりどう考えても、一人で行くと肴の量が多い。気を使うし接客の若者がうるさい。料理人の大声で飛ぶ「つば」が汚ならしい。もちろん味はすべて大味でうまいとはほど遠い。肴の量は蕎麦屋ぐらい粗末なほうがいい。酒の飲める蕎麦屋があれば、たぶん週に1回は通うような気がするのだが、残念ながらそんな気の利いた蕎麦屋はない。けっきょく20年来通い続けている「和食みなみ」というなじみの居酒屋以外は、とんと足が向かなくなった。

こんなふうに年齢を重ねる毎に自分の慣習が静かに変動していく。ここ4年間、まったく変わらず、逆にのめり込みが激しくなっているのは「山行」だけだ。山は飽きるどころかますます思いは募るばかり。いや、山だけじゃなかった。実は少し恥ずかしいのだが、「本をつくる仕事」にこの1,2年、新鮮な気持ちで取り組んでいる。何をいまさら、といわれそうだが、この年になってようやく本をつくる喜びや楽しみ、だいご味が、少しわかりはじめてきた。40年近く同じ仕事をしてきているのに、ま、こんなもんなのかもしれない。
(あ)

No.517

テレビの大罪
(新潮新書)
和田秀樹
これも時代なのだろう。テレビに対する批判や凋落を笑う本が花盛りだ。ここ数カ月で新書判で何冊もの新刊が出ている。その多くが既存のメディアの終焉を予測したり、崩壊を具体的なエピソードで深読みする内容のものがほとんどだ。本書を読む前、『街場のメディア論』(内田樹)にも目を通した。内田氏の結論は「テレビ関係者の知的レベルが低い」といったあたりに落ち着くのだが、もうちょっと具体的な批判がほしかった。例えば毎朝目を通す朝日新聞は、ここ2年で読む記事がめっきり少なくなった。通販系のあやしい広告オンパレードで、これら広告の質の低下が記事の信ぴょう性まで損ねているのは明白だ。こうした周縁の起きていることがらに現場の記者たちはどこまで危機意識を持っているのだろうか。テレビはもっとひどい。画面にお笑いタレントが出たとたん、小生はスイッチを切ってしまう。もう条件反射になってしまった。が、本書を読むと、どうやらもう好き嫌いでテレビを無視する次元ではないようだ。テレビは見れば見るほど心身の健康が損なわれる、そのことを医療、教育、自殺報道などを通じて著者は検証している。著者自身がテレビのコメンテイタ―として現場体験があるので、なかなか説得力がある。

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