Vol.525 10年11月20日 週刊あんばい一本勝負 No.519


旧石器ねつ造事件の本を読む

もう10年も経ったのか。
当時まったくの偶然なのだが、毎日新聞をとっていた。そのためよけいショックが大きかったのだろう。旧石器ねつ造事件は毎日新聞の世紀の大スクープだった。新聞を持つ手が震え、今もあの日の衝撃ははっきりと覚えている。
今ならどんな事件であれテレビが新聞より早く報じる。活字でニュースをはじめて知ることは、ほとんどなくなったが、当時はまだこんなことがあったのだ。

藤村新一による旧石器ねつ造事件はいろんな余波があった。ねつ造発覚の10日前、講談社からものすごい宣伝費をかけた『日本の歴史』の刊行が始まっていた。00巻は網野善彦、01巻は岡村道雄「縄文の生活誌」だった。この2巻が同時発売されて、書店では平積み、前評判は上々だった。問題は岡村の01巻だった。なにせこの事件の「犯人」である藤村の「神の手」を賛美する記述のオンパレードだったのだ。この本はすぐに回収・絶版とされた。後に改訂版が出ることになるのだが、私は回収には応ぜず改訂版もちゃんとお金を払って買い、同じ書名の本を2冊揃えることを選択した。

その著者である元文化庁主任文化財調査官・岡村道雄の『旧石器遺跡「捏造事件」』(山川出版社)がこの11月に発売になった。「10年の沈黙を経て、いま明らかにする」というオビ文が付いていて、急いで読み始めたのだが、まったく面白くなかった。著者自身にあまり反省の様子がないし、当事者意識が極めて薄い、のは意外だった。本文後半、ある街で暮らす藤村を訪ねていくシーンがあった。これがハイライトなのだが記述はあっけないほど短く淡白だ。藤村は一種の記憶喪失状態にあり「神の手」の指は斧ですべて切断されていた、というショッキングな記述も、さらりと触れられているのみだ。

事件に焦点を与えた当事者のドキュメントを期待したこちらが悪いのかもしれない。ようするに専門バカの弁解の書でしかないのだ。それも自己弁護と学問的な問題点に逃げ込む姿勢ばかりが強くて、ルポとして機能していない。
こちらにも、もともと古代史や歴史遺跡に対する基礎知識が欠けている。だから、あながち著者のせいにばかりすることはできないのかもしれない。
それでも、今売れている足立倫行著『激変! 日本古代史』(朝日新書)を読むと、やはりプロの書き手はまったく違うのがよくわかる。素人(読者)にもわかるように古代史の迷宮に低い目線からゆっくりと導いてくれる。
百戦錬磨のノンフィクション作家と元文化庁役人の文章を比べるのはフェアーじゃないのかもしれない。が、それにしても事件の当事者として、もう少し踏み込んだルポが読みたかった。
(あ)

No.519

孤独の中華そば「江ぐち」
(牧野出版)
久住昌之
今年読んだ本では、この本が文句なしにベストワン。すばらしい。ただし他の人に勧めても小生と同じような感動を持ってもっていただけるかどうか、自信ない。編集者として、いつもこんなニュアンスの本をつくりたい、と強烈におもっているのだが、他者にそのイメージを正確に伝えるのは難しい。でも本書の出現で「ほら、あのラーメン屋の本、あのイメージだよ」と説明できるようになった。それだけでも本書は「すごい」。有名作家が大上段に構えて書き下ろした本ではなくて、うちのような零細地方出版社でも明日にでも出せそうなご近所の物語である。取材なんて面倒なことはしないし、感じたことを勝手に膨らませて仲間同士で盛り上がっているだけ。本になんかなりっこないことを逆手に本にした本なのである。本好きな一読者として、「こんな本が読みたかった」と思わせる1冊なのだ。それにしても本書の初版が出たのが30年も前のこと。そのあと文庫本が出て、これが3回目のリニューアル。その3冊とも読んでいる私も私だが、読むたびに新しい発見があるのだからやめられない。その年代でなければ理解できない「宝物」が随所に隠されているのだ。私が80歳近くになってこの本を読むと、たぶん今とは全く違う「感動を発見」するだろう。近所の、どこにでもあるラーメン屋の、どこにでもある物語だ。

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