Vol.546 11年4月30日 週刊あんばい一本勝負 No.540


地震日記7

4月23日(土) 金曜日に「講演」のまねごとのようなことをしに角館。こういったことも仕事のひとつ。あまり好きではないが割り切って恥をかきに行く。
終わった後、友人の喫茶店で昼ご飯を食べバカ話。その間に車のバッテリーがあがってしまった。ライトをつけっぱなしで駐車していたのだ。あわてたが友人が迅速に処理してくれた。いやぁあせった。いろんなことがあって、事務所に戻ってきて、いつものデスクワークだが、なんだかいつもと違う「風」が身体の周りを吹き抜けている感じ。外に出て澱んだ心身に新しい空気が入ったからだろうか。やっぱり外に出て、いろんな人と話したりトラブルに遭遇したりしないとだめだなあ。

4月24日(日) 「がんばれ東北」という標語は被災者を励ましているのだろうが、「がんばれ日本」というのは誰が誰を励ましているのだろうか。主語は何なの? と疑問だったが、そうか、「消費税が上がります」と主格を入れこめば、「だから国全体でがんばろう」という文脈になる。そう考えると納得、うまくできたコピーだ。戦争中の「贅沢は敵です」と同じような政治的コピーといえなくもない。うがちすぎですか?

4月25日(月) 昼に街まで散歩に出る。何度か同じ経験をして気になったことがある。横断歩道で車が止まってくれないのだ。歩道の直前まで猛スピードで突っ込んできて「早く渡れバカ」と言わんばかりに威嚇的態度をとる。ドライバーを睨めつけると、これがほとんど中高年の女性やジッコ(老人)である。以前タクシー運転手にきいた話だが、車の性能が良くなったせいでドライバーが全体的に横着になっているのだそうだ。車に乗ると人格が豹変する、というのは昔からの伝聞だけど、まだ生きている。

4月26日(火) ようやく市議選も終った。ある新人候補に投票した。消去法である。政治家や役人にいい印象を持てないのは、彼らが一人では仕事できないから。いつでも子分や部下をひき連れ、虚勢を張ってしか生きられない、というおぞましくも醜悪なイメージしかない(まちがってるかもしれないけど)。友人の病気見舞いに5人くらい取り巻きを連れて病院にやってきた組合幹部がいた。あれは醜悪極まりなかったなあ。群れをつくる人たちに昔から嫌悪感がある。何か事が起きた時、まずは群れの中に入らずに何ができるか考えるのがクセになった。でも、だんだんそれも困難な時代になってきたような気がする。

4月27日(水) 友人を誘って月1回開かれる十文字の蕎麦会へ。会場はマタギ料理店で、蕎麦よりここのマタギ親父の鍋や山菜料理が絶品。各自勝手に蕎麦をうち酒飲んで帰るだけの不思議な会で、自慢も競争も言い訳も論争も、何もない。会の締めが「ラーメン脂笑」と呼ばれる達人の手打ちラーメンというのもメチャクチャだ(このラーメンがうまい)。友人も最初は目を白黒させていたが、帰りには「ぜひ来月も来ましょう」とコーフン気味。会費は3千円、車なので酒は飲めないが、それでもノコノコ出かけていく。どんだけ面白い会なんだよッ。

4月28日(木) 新刊が出ると東北各地の書店にファックス同報で販促する。それが今回は宮城の取引書店70店舗中3割が受信されず返ってきた。なぜか岩手や福島よりも宮城が圧倒的に多い。ある業界団体の調べだと、今回の震災による被災書店は700店、うち100店が全壊、200店は廃業に追い込まれるそうだ。背筋が寒くなる数字だ。同じ東北でも被害軽微な日本海側なので助かったが、仕事は東北全土がエリアである。書店消滅の現実がこれからボディブローのように効いてくるだろう。おそろしい。

4月29日(金) 今日は「街道歩き」の会。山形県境の旧三崎街道や吹浦海岸を歩く。そのまま小生だけ秋田に帰らず酒田泊。友人のカメラマンの個展のお祝いだ。酒田は好きな街だが、どうしても暴飲暴食に走る傾向にある。おいしい店が多いからだ。今週からひそやかにダイエットをはじめたのに、なんともタイミングが悪い。それにしても久しぶりの外泊になる。そうか3・11以来か。めいっぱい楽しんでこよう。自分でもわかるのだが、気持ちが内向きで、小さなことにくよくよしたり、腹を立てることが多くなった。これも地震のせいとまでは言わないが、どうにも周辺に漂う閉塞感と同調してしまう。何とかしないとなあ。 
(あ)

No.540

世にも奇妙なマラソン大会
(本の雑誌社)
高野秀行

高野さんの本はよく読んでいるのだが、やはり昨年読んだ文庫書き下ろし(どっかの雑誌に連載していたのかな)、『腰痛探検家』が圧倒的に面白かった。読み終って間もなく自分も腰痛になった。スキーで腰に負担がかかったためだが、その理由が分かるまで、てっきりこの本の「魔力」ではないかと疑った。それほどおもしろい本だった。本書ははじめて走るマラソン大会に意味もなくネットでサハラ砂漠の大会を選ぶところから始まる。もうほとんど最初から「整合性」「意味」は無視である。そこがなんとも文学的だ。いや文学的過ぎて怖いほど。なのに無意味さを逆手に取った「あざとさ」も感じられない。ひたすら一所懸命だからだろう。読み進むうちに著者と同化し、最初の「不純な動機」などどうでもよくなってしまうのだ。同業編集者として笑ってしまったのは、巻頭のカラーグラビア頁が2ページのみ、この2ページに16枚もの写真と地図を詰め込んでいる。こんな節約本はめずらしい(笑)。ちなみに版元がもし集英社だったら、この16枚の写真は8ページほどのページ数を使いゆったり大きく意味ありげに掲載されたはずだ。小出版社の悲哀も感じられて著者との同調感がいやます。

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