Vol.547 11年5月7日 週刊あんばい一本勝負 No.541


地震日記8 GWはストレスとの戦い

5月1日(日) 「山の学校」開講式。1年に一回、この回でしか会えない人がいるので出席。朝から体調すぐれず30分の遅刻。極度のストレスが原因なのか下腹に重いなまりを呑みこんだような鬱陶しさ。小心者は常に何かにストレスを感じてる訳で、いまさらって感じがしないでもないのだが、近年にはないプレッシャーが突然襲ってきた。何かが心身の負荷になっていることはまちがいないのだが、その中身がよくわからない。「山の学校」で課外授業、「ふろしきのアウトドア利用」は大いに勉強になった。こういう外での人との触れ合いが、ストレス軽減の一番の薬。

5月2日(月) GWがはじまったとたん体調が思わしくなくなる、というのもなんだかなあ。29日は旧三崎街道に寺田寅彦や三島通庸の跡を訪ねる街道旅、30日は酒田泊で友人の写真展、1日は「山の学校」の開校式……という具合で移動距離が長く、外に出る機会が増えたのはGWだからこそ。日本海がまるで沖縄の海のようにエメラルドグリーンになるのをはじめてみた。酒田の寿司屋で昼酒をしこたま飲んでヘロヘロになった。普段逢わない山の仲間たちとも開校式で会い、近況報告。普段しないことばかりなので身体も驚いたのだろうか。風邪のような、過労のような、身体のだるい食欲ない状態は今日も続いている。

5月3日(火) まだ起きていないことをあれこれ想像して心配しても何にもならない。これは古からの教え。わかっていても人生の何分の一かは確実にこの「起きてもいない未来への不安」に想い患い、煩悶し、苦悩する時間に費やされている。この「病気」にかかりやすい患者予備軍のひとりとして、いつもこの病気をどうすれば防げるかに腐心してきた。って予防行為そのものがストレスという名の病気の一種なんだけど。日本語ではこの病気を「取り越し苦労」とワンフレーズで言い表す知恵がある。取り越し苦労をしない方法って、ないのかしら。

5月4日(水) たまたま録画しておいた映画だったが、内容は衝撃的だった。アカデミー賞映画なのに出演者は一人っきり、それもノンフィクション。キューバ危機やベトナム戦争で名前を売った、我々の世代には名のしれた米国務長官マクナマランの過去を振り返る告白映画『フォッグ・オブ・ウォー』。これは面白かった。04年の作品なので、たぶん私だけが知らずにいたんだろう。そうかキューバ危機ってあそこまで切実だったんだ。第3次世界大戦が回避できたことのほうが「奇跡」だった。ケネディはいいがジョンソンは無能、なんて彼以外言えないもんなあ。 キューバ危機は「相手(ソ連)のことを思いやることが出来たから回避できた。ベトナムはそれが出来なかった」というのがマクナマランの結論だ。フルシチョフに恥をかかせず花を持たせたこと、ベトナム人はアメリカの前に中国と1000年にわたる戦いを続けた筋金入りの反骨民族であることに思い至らなかったこと、を意味しているのだが、はじめて知る事実ばっかりで圧倒された。

5月5日(木) うかつだった。「山の学校」の友人と2人、大曲の山の会に飛び入り参加。姫神、伊豆山、神宮寺岳の縦走だが300m級の低山で見くびってしまった。7時間上り下りの連続で、へばって、ほうほうのていで逃げ帰って来た。40度近い斜度の山なんて初めてだ。「ストックはいりません。這いつくばって登りますから」なんて冗談だと思っていたのに本当なんだもん。GM中いろんな山に行く予定だったが昨日だけでもう十分、体力気力とも使い果たした。

5月6日(金) カレンダー通りなので今日は仕事。GW谷間の出勤で、また翌日からは週末休み。昨夜は休日前夜に比べるとあれこれ考えて寝つきが遅かった。やっぱり仕事ってストレスなのかなあ。零細企業のオヤジにとって休日なんてちっとも楽しい事じゃない。できれば年中休みなしで仕事をしていたい、ってずっと思っていた。その「楽しい」はずの仕事前夜なのに無意識に身体や心は嫌がっている。昔に比べれば体力も負荷への抵抗力も、ガクンと落ちてしまった。

(あ)

No.541

人はなぜ簡単に騙されるのか
(新潮新書)
ゆうきとも

昔から詐欺や超能力、オカルトや身近なマジックまなどの、その手口を暴いたり分析する本が好きだった。小学生の頃、プロレスは八百長なんだよ、と正論を吐いて友人たちから言われなき蔑視を浴びたのが原点にあるのかもしれない。大人になってからも周辺には知識人より普通の人たちが多かった。町内会の会合では、前日観たテレビの超能力を「真剣に驚きあう」雰囲気が日常にあふれていたのだ。マジックを本物と勘違いして当たり前に生きていける牧歌的な環境で育ったのだ。小さかった娘も、テレビでミスター・マリックの超魔術みて、心底、超能力を信じていた。これはまずいな、と真剣に思ったのがこの手の本を積極的に読むようになった原点かもしれない。本書の書き手は本職のマジシャン。自分の手品の種明かしからはじまり、社会一般にはびこる「騙し」のテクニックに言及していく。「騙し」の多くは心理を操るメカニズムである。そのことを、読者を「客」にみたてて証明していく(騙していく)アプローチはなかなかである。本文に大きな罠を仕掛けながら、人(読者)には「信じたい」という本能がある、といういわば著者の結論へとしだいに(魔術のように)導いていく構成である。06年に出た本なのだが、まったく知らなかった。読んでためになる本である。

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