Vol.550 11年5月28日 週刊あんばい一本勝負 No.544


地震日記11 まだまだ続くぬかるみぞ

5月21日(土)  昨日の地元紙に「募金しない生徒名掲示」という小さな記事。戦争中の「非国民」をおもわせる感違いが、この震災を機に学校現場では現実のものになっている。これは全国版のニュースでもおかしくないのに、地元紙以外は報じていない。東京各紙はローカルに支局をつくる意義を失っているのでは。それにしても新聞は面白くないなあ。個人的なリテラシーで面白くなるように「努力」して読んでいるが、とてもそんな個人レベルでは追い付けないほど、つまらなさに加速度がついている。

5月22日(日)  「さまざまなことを思い出すさくらかな」――事業をたたんで再出発する遠方の友人からの便りの末尾に記された句。字余りだし、内容も凡庸だし、ひらがな多いし…と思ったのだが、なぜか脳裏に巣くって離れない。凡庸に読めて、実は奥深くシンプルにラジカルな句ではないのか。と調べたら、なんと芭蕉の句。あやうく友人に「もっとましな句をつくれよ」といいかねないところだった。

5月23日(月)  先日『ババヘラ伝説』というマンガ本を出したのだが、なぜか岩手県で売れている。これは想定外だ。調べてみると盛岡市内の書店員がツイッタ―でガンガン発信しているからのようだ。前もジュンク堂秋田店の店長が『はじめての秋田弁』というマンガ本をツイッターで全国に広めてくれたことがあった。そうか、思わぬところで書店員は善戦奮闘している。残念ながら、現在の秋田の書店員には、そういったやる気のある人はいないようだ。

5月24日(火) 風呂の温水器が壊れた。15年以上使っているので限界。近所の工務店Kさんがさっそく新しいものに取り換えてくれた。震災で在庫不足、時間がかかりそうだったが、Kさんの尽力で風呂なしの日々を回避できた。それにしてもストーブから水回り、倉庫のプレハブ手配から事務所のリフォームまで、ぜんぶうちはKさん頼み。夜討ち朝駆けにも嫌な顔をしない。欠点は酒を飲まないこと。だから、うまくお礼のしようがない。

5月25日(水) 東京の書店や新聞社に「東北を支援しよう」というムーブメントがあるようで、ブックフェア―や書評で過去の本がよく取り上げられるようになった。漁夫の利のようなこそばゆさを感じるが、ここは謙虚に感謝。あわせてインチキ・サラ金業者からのファックス勧誘も劇的に増えた。下請けのTV制作会社からは、東北をテーマにした企画案を相談されるが、ほとんど付け焼刃、火事場泥棒的発想で、うんざり。ま、いろんな人がいらっしゃる。少し静かにしてもらいたい、というのが本音だが。

5月26日(木) どうにも煮つまってしまった。仕事場に澱んだ空気が充満。集中して読まなければならない原稿があるのだが、やる気が起きない。図書館や喫茶店はうるさそうだし、旅に出るほど大ごとではない。車で20分の山中にある「山の学校」に行くことに。快晴、青い空に白い雲、新緑が目にまぶしい、絵に描いたような夏休みの木造校舎。正味2時間、ここで集中して仕事。気分転換でき心は一挙に軽くなった。調子に乗って今日も行かせてもらう予定だったが、校長先生が不在のため中止。残念。

5月27日(金) HPの調子が悪く、ご迷惑をおかけした方もいたようで、すみません。元に戻りました。昨日の日記もその不調のせいにしたかったのですが、実はサボりでした。週日にかかわらず太平山登山。登山者ほぼゼロ、花は今が盛り、ブナの若葉の透明感のある緑に声も出ません。3時間かけて登り、2時間かけて降りてきました。そのぶん、いまこうして机の前に垂れこめて仕事をしています。明日も仕事です。でもあの若葉の緑を思い起こせば、仕事なんてへっちゃら、です。

5月28日(土) 山本作兵衛の炭鉱絵巻が日本初のユネスコ記憶遺産になった。記事をみる限りこの炭鉱絵巻が半世紀前に本として刊行されていることに触れたものはない。版元が消滅し、難しいのかもしれないが再版してほしいものだ。逆に、急に売れ出して、蘇ってしまったのが元福島県知事の『知事抹殺』。刊行時に読んだのだが、まったく面白くない本だった。いまさら原発の恨み言を書いて……と失望した覚えがあるのだが、本は時代と添い寝する。
(あ)

No.544

日本滞在日記
(岩波文庫)
レザーノフ著(大島幹雄訳)

ある冬の日、所属する登山サークル「山の学校」の事務所で、ぼんやりストーブに薪をくべながら一人で過ごしていた。仲間たちは近くの山に登りに出かけたのだが、体調が思わしくなく私だけ取りやめたのだ。ボーっとしているのも芸がない。近くにあった書架から、手あかに汚れた本をランダムにとり読み始めた。それが表題作だった。おもしろくてやめられなくなった。みんなが山から帰ってきた後も夢中で読み続け、読み終らなかったのでその本を借り、うちに持ち帰り、夜中に読了した。1804年に長い航海の末、長崎に到着したロシアの全権大使レザーノフの半年余りの日本滞在記である。副題に「1804−1805」とわざわざ年代を明記している。これもまあ意味があるといえばいえるのかもしれない。なにせ他の外国人の滞在記と違うのは、半年の滞在期間の前半部分ほとんどが長崎へ上陸できず、船の中でイライラしているだけの日記である。いちいち日本側ののろい対応にいら立ち、ヒステリックに「早く上陸させろ」と叫び続ける著者の怒りが正直に記録されている。その日本側から乗船してくる通詞(通訳)に馬場為八郎(秋田出身)がいた。小舎では彼に関する本(『連座』)も出している。彼に対して多くの紙枚が割かれているのも興味を引かれた理由なのかもしれない。本書はロシア政府の意向により出版が禁じられ1944年に初めて公刊が認められている。日露交流を考える上で貴重な本なのだが、なぜ出版が禁止されていたのか、内容からはうかがい知れない。気性の荒いレザーノフを通して見える日本と日本人が新鮮である。

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