Vol.556 11年7月9日 週刊あんばい一本勝負 No.550


地震日記17 自分の原稿書きに四苦八苦

7月2日(土) 夜半から雨。蒸し暑くて何度か目覚めた。週末に秋田駒から乳頭の縦走。右足首が痛くてヘロヘロの7時間だったが、今日はその足の痛みも筋肉痛もない。でも長く歩くと痛み出すから、どこかに病巣があるのはまちがいない。痛風ではなくて筋肉痛なら儲けもの。今日は散歩もできないから、ちょうどいい脚やすめだ。雨が降ると「よし、じっくり家のことをしてみよう」という気分になる。いつかやろうと思ってやらないでいるアレコレを、と決意するのだが……。いっそ明日も雨が降ってほしいものだ。 毎日雨なら部屋は片付くだろうな。

7月3日(日) 昼飯を食いに秋田大学学食に行く。校門口に新しい建物があり「南木佳士」の文学資料館とのの表記。驚いてはいってみると数冊の著書と数枚の写真とひと束の自筆原稿だけの1坪にも満たない空間。いや、これはいくらなんでも南木さんに失礼だろう。いくつかの著書の中で「秋田にはいい思い出がひとつもない」と南木は繰り返し書いている。そういう事情を知っていれば、大学側も無理に出身校であることを誇らなくてもいいのに、と思ってしまう。小生、山の本に関しては新田も岳も串田もまったく興味がない。ひたすら南木と池内紀の二氏の書いたものだけ愛読している。ファンとしてこの資料館はかなり恥ずかしい。

7月4日(月) 明治時代の新聞記者で、もっぱら庶民の聞き書きを基に記事を書いた人物がいる。聞き書きの神様の様な記者で篠田鉱造という人物だ。彼の書いた本は今も岩波文庫で読める。『明治百話』(上下)『幕末百話』『幕末女百話』……生涯を通して古老たちの歴史証言の伝承者として、何冊もの本を残した。それらの本は、いまもわくわくするほど新鮮で魅力的だ。活字の力を信じたいむきは、ぜひ一読を勧めたい。目下の小生の愛読書である。

7月5日(火) 「験(ゲン)を担いだりするほうではないが、去年の秋からずっと同じ時計で通している。いつもなら時々の心境で2,3個ある時計を使い分けるのだが、こんなに長くひとつの時計にこだわるのは「験がいい」と感じているからだろう。中古で買った外国製で、なんと手巻き。毎朝竜頭をまきあげるのが楽しい。でも革バンドはボロボロになった。毎日腕に巻いていると、こんなに早く摩耗するの? 今日、バンドを買い替える予定だ。でもバンドを買えたら「いい験」が落ちたりして。

7月6日(水) 2年前に出した本が突然ポツリポツリ売れ出した。『定年!徘徊親父日記』(すがかつゆき)という超ヒマ・エッセイで定年後の100日間を俳句と日記で綴ったもの。理想の小原庄助めざして朝寝朝酒朝湯に庭いじり、料理にアウトドア……が理想は遠い。「カビはえる痛風もちのオヤジかな」「残雪やそれって補聴器ipod」「花吹雪退職金も散り散りぬ」。本をつくりながら腹を抱えて笑った記憶がよみがえる。そうだよな、この本が売れなきゃおかしいよな。もっと売れてくれ!

7月7日(木) 山菜の美味しい食べ方の話になると必ず登場するのが「サバ缶だけで煮る鍋」。ミズもタケノコもアイコも、最もうまい調理法は? と訊けば「サバ缶鍋」という答えが圧倒的に多い。30年ほど前、ジュンサイの取材で同じ質問をしたら「そりゃサバ缶鍋が一番」と栽培農家に言われた、とカミさんも言っていた。仙台でも山菜サバ缶煮伝説は昔からあったそうだ。山菜とサバ缶の相性がいいのを発見したのは誰、それはいつごろ、どこの地域から……? ずっと興味を持っているのだが、よくわからない。知っている人いたら教えて。

7月8日(金) 実は今週はずっと自分の本の原稿を書いていた。『ババヘラの研究』という、どうしようもない路上アイスの本。もう何年も前に書きあげたのだが、出版後、ババヘラ業者から訴訟を起こされる可能性のある内容なので、市内のE弁護士に相談、法律用語のある個所を弁護士にチェックしてもらっているのだ。もう2度書き直した。やはり法律的な解釈は難しい。今日ようやく3回目の書き直し。これで大丈夫かなァ。
(あ)

No.550

小津ごのみ
(ちくま文庫)
中野翠

小津安二郎の映画は好きでよく観る。でも映画論となると何の興味もない。映画は楽しみで見るもの、裏側の理屈を知っても楽しみが増すわけではない。おびただしい数の小津論はだからパスしていたが、この本は書名からして、なにか素敵そうだ。これなら読みとおせるだろうと思って買ったが、映画論だったらどうしよう、という不安は消えず便所本に。1日1回、朝のトイレで読む本である。これなら気がのらなければすっ飛ばせるし、面白くなかったら別の本に換えればいい。読みだすとトイレから出られなくなってしまった。おもしろい。映画論ではないから、といっては身も蓋もない。小津の「好き嫌い」の感情にスポットをあてた画期的な人物伝になっている。目次構成で一目瞭然だが、ファッション、男女、セリフ、そして最後が作品のガイダンス。本来であれば柱になる作品ガイドが最後である。「もの」の表層的な部分にこだわり、女優のきものや男優の顔の形に言及する。女性ならではの感情から興味のあるところにだけ踏み込んだ構成(単発エッセイの連なり)で、読者は作者と小津の世界をシンクロさせながら、その価値観に引きづり込まれていく。自然体が気持ちいい、と感じ入りながら、映画をもう一度見直してみたくなるエッセイ集である。

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