Vol.56 9月22日号 週刊あんばい一本勝負 No.53


東京・山形あたふた移動旅行

 突然、神保町で編集プロダクションを経営する先輩から「自分の還暦祝いをやるので出るように」という命を受けて上京することになった。秋田との関連も深い人で、かつ地方小出版流通センターの発足にかかわった人である。会場は神保町の居酒屋チェーン「庄屋」。 会半ばで、これも突然入った日程のためセンターの川上氏と中座。首都圏出版人懇談会の若いメンバーの送別会の開かれている神楽坂へ。若作りの流行の「WAふう」居酒屋。最近きづいたのだが東京といってもそうそううまくて安い店というのはない。会が終わると川上、幾志、中村のセンター長老たちと行きつけの「もーきち」で飲み直し。一日に3軒の店に入るというのも珍しい。翌日は銀座のデパートで食料と酒を買い一日中ホテルに閉じこもる(こういうのが好きになってきた)。翌朝、飛行機で秋田に帰り、空港にとめて置いた車で直接山形・鶴岡へ。鶴岡では『田澤稲舟資料集成』の出版パーティに出席。2次会は鶴岡の書店グループの人たちと。ホテルの部屋がタバコくさく往生する。地方のホテルはどこもこうで真剣に「匂い」対策をしないと誰も泊まらなくなるのでは。翌朝は同じ山形の新庄市で自費出版打ち合わせ。カーナビが威力を発揮してほとんどロスなく移動出来る。3泊4日のあわただしい小旅行を終えて事務所に帰ると仕事が山になっていた。きついなあ。
(あ)

ホテルで弁当。このわびしさが好き

出版パーティで記念講演する
著者の細矢先生

田んぼの倒伏が心配

 石井さんの田んぼの稲は順調に生育しているが、1週間ほど見ないうちに局部的にひどい倒伏があり、驚いてしまった。そんなに激しい雨や嵐があったわけでもないのにこれはどうしたことか。田んぼの中にクレーターのような穴があいているのである。倒れた稲は元に戻せるわけではなく、早めに刈り取るしか手はない。刈り取る寸前まで順調に生育していても、直前に倒伏して半分近くをだめにしたケースも以前小生は目撃している。石井さんにこのへんの事情を聞いてみようと思うのだが、最近はなかなか見かける機会が少なく心配である。
(あ)

倒伏した稲

日野東さんの仕事

 日野東さんが取材旅行の途中、事務所に打ち合わせのため寄ってくれました。日野さんは6年ほど東京の出版社に編集者として勤務したあと、フリーのカメラマン兼ライターとして全国のハイキングガイドや花の名所、植物図鑑などの書籍や雑誌連載をしている人で、現在、小舎の数本の企画に関わっています。カメラマンとしてもライターとしても実績のある人で、車に寝泊りするフットワークのよさもあり各出版社に引っ張りだこです。ご自身で企画を立てる能力も高く、そのてんも無能力編集者には大助かりなのです。フリーの人はこのぐらいオールマイティな力がないとこれからはやっていけないのかもしれません。日野さんとはこの2,3年で5,6本の仕事を一緒にする予定です。当座は『福島の公共温泉』『とうほく花の湿原紀行』(上下巻)などを来年そうそう刊行します。ご期待ください。
(あ)

この人が日野さん

日野さんの著作物

久しぶりの「みなみ宴会」

 久しぶりに「和食みなみ」で社員宴会をしました。宴会の名目はアルバイターの柴田と山岡君の国体出場慰労会と共同通信の土井記者の仙台転勤お別れ会。それと鐙編集長が1ヶ月ぶりに「北前船」取材旅行から帰って来たご苦労さん会や決算終了慰労の意味もこめた飲み会です。やはり通いなれた「みなみ」の料理やお酒はおいしいですね。初めて気付いたのですが同じ安い食材を使っても焼き方や加工の丁寧さで味には圧倒的な差がつくという事実。宴会が始まる前、仕事でハタハタの写真撮影をさせてもらったのですが、その焼きかげんの見事なこと、なるほど職人の技というのはすごいものだと感心しました。若い人も中高年も等しく満足させる味というのはありそうでなかなかありません。だからものすごい店が出てこない限り「宴会はみなみ」という小舎の方針は覆らないようです。最近は飲みすぎで翌朝の朝ごはんを抜くようになってしまいましたが、たまにはみんなで大騒ぎして飲むこの開放感はぜったいに必要ですね。特に若い人たちとの宴会が楽しい今日この頃です。
(あ)

全員集合

No.53

毎日新聞旧石器遺跡取材班(毎日新聞社)
発掘捏造

 去年の冬(11月)の、あの毎日の朝刊の紙面は「ベルリンの壁」以来のショッキングな記事であった。あの日以来、この世紀のスクープの舞台裏を記録した本がいつ出るのか心待ちにしていたのだが、確か6月ころ毎日紙面に予告広告が出た。早速ネット書店に注文を出すが不思議なことにデータ入力されていなかった。他のネット書店も当たってみると「アマゾン」だけが「品切れ表示」のデータがあった。出たばかりで品切れというのもひどい話だなあ、と7月にはいってから再度注文して手に入れた。その奥付を見て驚いた。6月20日に初版が出て7月15日にすでに3刷が出ているのである。なるほどこれなら品切れ扱いになるわけだ。舞台裏のことはある程度は聞いていて、それほど目新しい事実もなかったが、学閥と功名心にどっぷりと使った狭いエリアの競争が藤村氏やその所属する機関を悪魔の洞窟に追い込んでいった様子がよくわかる。藤村氏は一生病院暮らしになるのだろうが、「生き残った」研究所や恩師の先生にも胡散臭さを感じている人たちは多いのではないだろうか。

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