Vol.569 11年10月8日 週刊あんばい一本勝負 No.562


旅のあとの3休4勤がいい

10月3日 朝から雨。これで3日連続だ。よく供給源が切れないものだ。それにしても寒い。ついこの間まで冷房だったのに今日はストーブ。初ストーブだ。週末は県内で最も遠いところでお仕事だった。そのまま観光ホテルに泊まり、翌朝十和利山に登ってきた。それはいいのだが、ホテルで若者たちの浴衣姿を見てショックを受けた。ほとんどの若者(男)が帯を前で結び、寝起きのように前をはだけて食事(夕食)していた。もしかして外国人? と思ったが、日本語を話していた。人さまの服装をうんぬんしてもしょうがないが、そうか、この国の生活文化はここまできてしまったか。

10月4日 本を出すのが仕事なので秋は稼ぎ時。「稼ぐ」という言葉は品がないか本が1年で最も売れるシーズンだ。暑くも寒くもなく、夜長で静寂が似合う。秋は読書にぴったしなのだ。でも造る側のこちらは、ほとんど本を読んでるヒマがない。講演会にシンポジューム、原稿締め切りに、よくわからないイベント、冠婚葬祭もなぜか多い。忙しいことに感謝しなければならないが、そうなると逆にピタリと何もなくなる雪の季節がコワくなる。勝手なものだ。短い秋を楽しもう。外では行ってみたいイベントが盛りだくさんで、週末の紅葉の山も外せない。こんな季節に限って出張が多くなるのも玉に瑕だ。仕事と遊びとアルバイト(原稿書き)のバランスをとるのが難しい。

10月5日 朝早くに起きて外に出なければならない。こんな日の前日は憂鬱。それでも大の苦手だった早起きが比較的に苦もなくできるようになったのは山登りのせいだ。5時6時起きは当たり前、3時半とか4時出発なんていう山行もある。でもやっぱりどこかに苦手意識はある。朝早く起きなければ、というだけで寝付けなくなったりすることもたびたびだ。年をとると早起きになるというのは定説だが、自分には当てはまらない。夜は強いが(といっても深夜1時頃までが限界)、朝はやっぱりプレッシャーがある。というわけで今日は5時起き。

10月7日 いま旅先。ホテルの高層の窓から海が見える。あいにくの曇り空だが海に抱かれて眠り、目覚めると眼下に海が広がっているという光景は新鮮。今日は仙台に移動、大事な打ち合わせが2つ。でも旅先のせいか気持ちはどことなく浮ついている。仙台では、ある新聞社の夕刊コラムを本にする打ち合わせなのだが、中身は「震災」。初めて震災本を造ることになりそうだ。類似本との差異をどこでつけるか、広告宣伝をどうするのか……そんなことを考えていると、ちょっぴり怖くなったりもする。

10月8日 横浜、仙台とあわただしく駆け抜けてきた。収穫の多い出張だったが酒量も多すぎ。3日間留守にするとさすがに仕事が「目に見える山」となっている。その山をひとつずつ片づけていくのは快感だが、まずは旅行の後始末が先。それからやおら「仕事の山」と格闘する。山行と同じで、とりあえず旅を100パーセント過去のものにしてからでないと、新しい物事に取り掛かれないのだ。やっかいな性格。洗濯物や領収書を仕分け、バックをしまい旅の洋服を脱ぎ棄て、やっと仕事にとりかかる。この順番だけは、どんな仕事の山の前でも崩せない。今日は土曜日、友人と近所の山(太平山前岳)にハイキングの予定、天気は悪くはない。

10月9日 旅で3日間もあけてしまった後の3連休というのは、うれしい。十分休養もとれるし、たまった仕事と格闘する時間もある。来客や電話がないのが、なによりもいい。丸1日、山行に充てることができるし、もう1日は映画や読書やアルバイト原稿書き。いいなあ。でも、こんな風に思えるようになったのは最近だ。年とともにライフスタイルが3休4勤的モードに入ったかな。いや、それもあくまで3連休の前に1,2日の出張が入っていればこそ。ヒマな時の3連休はちょっと退屈を持て余してしまう。
(あ)

No.562

ペリー
(角川書店)
佐藤賢一

この著者の「新徴組」はいい本だった。著者は鶴岡市の出身なので幕末や明治維新ものは題材に困らない。庄内藩、本間家、北前船、新撰組、清河八郎、西郷隆盛に石原莞爾……思いつくだけでもすぐに小説のテーマになりそうな題材が浮かんでくる。これにくらべると秋田にはその時代のおもしろそうなテーマがほとんど見当たらない。それはともかく著者が選んだテーマが「ペリー」というのは驚いた。江戸の幕末史に世界史の視点を持ち込む、という発想は新鮮だ。日本歴史のなかでは一種の神話のような「浦賀沖ペリー来航」という事実というかワンフレーズは日本国民であれば知らない人はいないだろう。しかし、その舞台裏や本当の事実関係は、と問われると、何ひとつ知らないのだ。いわばあまりに有名なワンフレーズの事実の前に、ほとんどの人が思考停止状態になっている、ともいえる。著者はそこを一歩前に進めてくれた。ペリーの当時の肩書はアメリカ東インド総督で、だからもちろん太平洋横断はしていない。当時のアメリカ議会で承認を得た来日でないことも、本書ではあきらかにされている。日本に向けて大砲を撃つためには議会の許可が必要だったのだ。持ち込んだ文明利器の数々をみて日本の武士たちはほとんどそのことを知っていた、という指摘にも驚いた。

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