Vol.570 11年10月15日 | 週刊あんばい一本勝負 No.563 |
1週間は駆け抜けるがごとくすぎて | |
10月10日 明日も実は休みをもらっている。3連休の後にもう一日休もうというムボーな計画(理由は後に)。そのため連休最後の今日は朝から家で衣替えと大掃除。午後からは明日の分の仕事をかたずけてしまう予定だ。ひとつ難関というか悩みがある。ある業界誌に頼まれている書評。こちらで好きな本を選べるわけではない。業界紙で選んできた本を読み、書評を書くという仕事である。これまで2回は何の問題もなかったのだが、今回の本は正直なところ筆がすすまない。肌合いが合わないというか、本の内容に違和感のほうが強い。基本的に書評で悪口はご法度、どうにかして「良さ」を見つけなければならない。これがけっこうしんどい作業で、もう何日間も呻吟している。 10月11日 最低でも1か月前には新聞広告の出稿日は決まる。だからその近辺に出る新刊を予想、1カ月半ほど前に希望掲載日を代理店に伝えておく。しかし掲載日に本ができていない、というケースが結構多い。今月末は地元紙の一面と朝日、読売の全国紙に広告を出す予定。だが、その新刊三本のうち二本は「未刊」になりそうだ。広告というのは宣伝、予告。本が出ることさえ知ってもらえれば目的の半分は達したわけだが、広告を見て本屋さんに走っても本がない、というのはやっぱり問題かなあ。 10月12日 人に訊くのがちょっと恥ずかしい「疑問」は誰にでもある。昔の庶民の着物というのはどうして紺色ばかりなの? というのもその一つ。昨日読んでいた宮本常一の本に答えが書いてあった。藩命で百姓には厳しい「禁色」の令が出ていたこと。貴重だった山藍に代わって江戸時代に「だて藍」が渡ってきて藍が簡単に栽培できるようになり、ここから庶民の着るものはみな藍色になったこと。その後、少しは白が入ってもいいということになり絣(かすり)が織られ、小紋のような型染めへ発達していく。なるほどそうだったのか。馬と牛の、人間と労働への関わりの微妙な違いも宮本の本には書いてある。これも知りたかったことだ。 10月13日 もう蚊が入ってくる心配はないし晴天続きだし、と思って油断した。寝室の網戸のないほうの窓もあけ換気したら夜、羽音で目が覚めた。2匹のカメムシが侵入していたのだ。油断も隙もない。今年はカメムシ豊作の年と誰かが言っていたのを思い出した。臭腺から強い悪臭を放つあのヘコキムシである。叩き潰す時に力余って蛍光灯まで壊してしまった。夜は修羅場に。叩き潰した異臭が今日の朝まで残っていた。不愉快だなあ。 10月14日 いつも机の前でボーっとしているうちに1週間は駆け抜けるように遠ざかっていく。のだが今週はなんだかいろんな人に会い、歯医者や床屋に行き、電気屋さんが工事に入ったり原稿の締切りもあり、山まで登った。週末でないのに山行したのは栗駒山の紅葉を見るため。週末はイモ洗いのため3連休の翌日、臨時休業とったのはそのため、でした。これじゃ1週間も早いわけだ。正味3日しか働いてないんだもんな。でもようやく震災本のめどが立った。これが今週一番のニュースかな。書名は『3.11を超えて――夕刊コラムがみた東日本大震災』(河北新報論説委員会編)。売れてくれればいいなあ。 (あ)
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