Vol.571 11年10月22日 週刊あんばい一本勝負 No.564


イケメン林・白だし・カメムシ、秋の夜長

10月16日 鶴の湯温泉裏から大白森に登る予定だったが、昨夜の天気予報を尊重、中止。なのに朝から小ざっぱりと晴れ渡っている。午後から崩れる可能性もあるそうだが、行ったほうがよかったのかなあ。でも正直言うと最近ちょっと疲れ気味。ちょうどいい休養になった。朝は10時近くまで寝ていたし、前日もかなりリラックス、疲労はかなり取れた。今週は「秋の商戦」詰めの作業にはいる。休養をとって山に行かなかったことが、いい方向に作用してくれればいいのだが。

10月17日 週末の山行を取りやめたせいか体調がいい。というか体が軽い。この調子を維持して今週を乗り切るぞ。来週は山ありシンポあり新聞広告3本と名古屋と弘前出張が重なる。ハードな日々が続く予定なので、今週はもっぱら体調維持週間。明日夕はタイミング良くモモヒキーズ宴会が事務所シャチョー室である。新そばを食べる会。これが唯一の楽しみと言えば楽しみ。ひたすら笑いっぱなしの時間って、なかなかないもんなあ。

10月18日 このところとんと面白い小説とご無沙汰。イライラしながら本棚から以前読んだ記憶がかすかにある、乙川優三郎『生きる』(文春文庫)を取り出し、読みはじめ、ぶっ飛んでしまった。亡き藩主への忠誠を示す「追腹」(後追い切腹)を禁じられた初老の地方武士の話だ。死ぬことを禁止され、娘と義絶、息子は切腹という失意の日々をつづった超クラ〜イ小説だが、格調高く人間の強さと一条の光明の輝きを描いている。平成14年に直木賞をとっている。しかし、死を禁じられた武士の苦悩というテーマは藤沢周平もまっさおだ。息をひそめながら読了。いやはや至福の秋の夜長だった。

10月19日 その昔、馬は「乗り物」や「運搬」のために多くの農家に(特に東日本では)飼われていたのではなく、もっぱら家の宝、財産としてペットとして飼われていた。少なくとも明治初めまでそういう習俗があったし使役ではなく家畜だった、と宮本常一は指摘している。労力や戦争に馬を活用してきたのは西日本で、これは乗馬という形で戦争の道具にしてきた「騎馬民族」の影響が深いのだそうだ。東日本の人にとって馬は「乗るもの」ではなく手綱で「ひっぱる」(犬のリードですね)もの。山道で馬よりも牛を重用したのも馬は神経質で野宿できなかったからだ。ペットゆえ馬小屋が必要だったのだ。そこで、やむなく野宿のできる牛が使われたのだそうだ。なるほどなあ。

10月20日 鍋の季節。昨夜も冷蔵庫の有り合わせの材料で鍋。出汁ベースは市販の「白だし」。先日マイタケをもらった。友人に手っ取り早い調理法を訊いたら「白だしが一番」と言われ、お吸い物にしたら大正解。すっかり白だしにはまってしまった。この頃は毎昼、冷凍讃岐うどんを白だしで食べている。うどんにお醤油は使わない、という関西の常識がよくわかった。秋田ではそばもうどんも同じ麺類、同じつゆを使って平気なお国柄だから、これはカルチャーショック。白だしはすごい。

10月21日 山を歩いていると素晴らしいブナ林に遭遇。若々しく清冽で、それでいて静寂と溌剌さがまじりあった、その空気感がたまらない。この空気感を一言で表現するのは難しいのだが同行者が一言、「イケメン林だね」。う〜ん、うまい。「ブナの少年隊みたい」と言った女子もいたが、これはちょっと比喩が限定的。そういえばカーナビのついていない車を「生ナビですか?」といったご仁もいた。でも、やっぱりネーミングの白眉は「ババヘラアイス」。これにはかなわない。ところで小生の本『ババヘラの研究』、読んでくれた? けっこう売れてんだよ。

10月22日 これ以上ない晴天に恵まれ内陸線に乗ってきた。紅葉にはまだ数日間足りないが、心なしか行きと帰りでは山の色づきが変わったような気がした。仕事での乗車だったが平日にもかかわらず帰りの電車は満杯。シーズンということもあるのだろうが、この調子で存続してほしいものだ。ただし乗った車両に猛烈なカメムシ臭がしたのは、いただけない。実は、家の寝室も数日前からカメ臭に悩まされているので敏感になっているのだ。どこかに1匹隠れているのは間違いないが、いっこうに出てきやがらない。心底カメムシが憎い今日このごろ。
(あ)

No.564

銀の島
(朝日新聞出版)
山本兼一

先週に引き続き同じ著者の本である。年をとったせいか、ある作家の本がおもしろいとわかると連続してその作家の本を読む傾向が強くなった。いやそうじゃないな。年というよりもネット書店で過去の在庫が簡単に安価で手に入ることが大きな理由かも。実はこの本の後にも同じ著者の人気連載「とびきり屋見立て帖シリーズ」を愛読している。それはさておき本書はフランシスコ・ザビエルの物語である。知っていそうでまったくしらない、これまた日本人の代表的な歴史上の人物だ。先にとりあげた佐藤賢一「ペリー」と同類の本、と言っていいだろう。別の山本の本でも宣教師ザビエルのことは何度か出てくるので、この作家との関係に驚きはしないが、冒険活劇風の戦国の歴史物語の主人公というのは意外だった。主人公の立ち位置を決めるのも才能だ。「利休にたずねよ」でもそうだが、この作家の場合、とにかく主人公の立ち位置や物語の構成がおもしろい。利休は切腹から逆算する章立てで物語がはじまり、度肝をぬかれた。本書ではインドにあるというザビエルのミイラの話からはじまる。もうこれだけでドキドキハラハラ。後半はザビエルからバラッタといういかがわしい人物に主人公が移ってしまうのだが、最後までエンターテインメントに徹する作家の姿勢は変わらない。歴史上の人物を小説で知る、という喜びを与えてくれた本だ。

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