Vol.573 11年11月5日 週刊あんばい一本勝負 No.566


本と旅とカメムシの秋

10月31日 紅葉がすばらしかった11日の栗駒・秣縦断以来の約3週間ぶり山行。秋田市と大仙市の境界線に山頂がある大石岳という山だ。無名だがさすが大平山系、ハードな急峻続きだった。でも満足度はかなり高く、ここ数週間のフラストレーションがいっぺんに解消された。今日は実に爽快な朝を久しぶりに迎えた。今週もローカル線(由利高原鉄道)や種苗交換会(横手)、イベントでの本販売、山形出張などがあり、出入りの激しい週になりそう。昨日の山行を栄養源に1週間を乗り切りたいのだが、この「心地よい疲労感」が、いつまで持ってくれるやら。

11月1日 別に義務づけているわけではないのだが秋になると県内ローカル線に一度は乗ることに決めている。もう習慣のようなものだ。内陸線と五能線は先日乗ったばかり。今日は由利高原鉄道(鳥海山ろく線)。天気もいいし取材ではない、のんびり一人旅だ。油断すると満席で窮屈な思いもしたりするが、いつもは一車両に三,四人が常態。今日もケーブルテレビの取材クルーが乗っていただけ。ローカル線に乗ってのんびり風景を眺めていると、あり得ないようなアイデアが浮かんできて、ひとりにんまりしたりする。アッ、いかんいかん、また仕事と結び付けている。悪い癖だ。

11月2日 昨日は好天だったので、鳥海山ろく線に乗った後、本荘から107号線をひた走り、横手の種苗交換会まで足を延ばした。会場で古い友人数人と会う。横手は友人が多い町だ。母親の出身地なので昔からなじみが深い。それにしてもさすが「食文化の街」を標榜するだけあって、交換会は盛況だった。いろんな食べ物屋台や農協女性部食堂を回って初めて気がついた。麺類ばかりでご飯類のメニューがほとんどないこと。あってもおにぎりで、これはコンビニ製。食品衛生法かなんかで「人間の手が加わる食品」には許可申請が必要になるからだろうか。もう何十年も交換会を見てきたが、これは気がつかなかったなあ。

11月3日 ベッドで奥田英朗『どちらとも言えません』を読みはじめたら、あまりのおもしろさに、途中で読むのをやめてしまった。明日の夜も次の日もこの続きを楽しみたいからだ。一気に読んでしまうのはもったいない。こんな本はめったにないなあ。この本はスポーツ・エッセイで、とにかく爆笑ものの一冊。そういえばつい先日も旅の電車で読みふけった沢木耕太郎『ポーカー・フェース』も久々に読み終わるのが惜しい一冊だった。こんな面白いエッセイ集をたぶん何冊も読み逃しているのだろうな。そう思うとホント悔しい。

11月4日 夜になったら急に冷え込んできた。寝室の暖房を入れたら蛍光灯からポトリとカメムシが落ちてきた。まだ1匹残っていたのだ。異臭の元はすべて取り除くか脱臭剤で消えかけていたのだが、ときどきプ〜ンとカメ臭がする。残り香とばっかし思いこんでいたが、生存者がいたのである。このカメ公、今年に限っていったいどこから来たのか。つらつら考えるに10月中におこなった「山の倉庫」の引っ越ししか考え付かない。本と一緒に山から移動してきた、というルート以外ない。その証拠に昨日は事務所でも1匹、子カメをみつけた。カメとの戦いはまだ終わっていない。

11月5日 近所にリフォーム店がある。よく利用するのだが値段が高い。山用スパッツのピンが抜けたので縫ってもらうことにした。ピンを留めるだけなのに1800円と言われた。新しいスパッツが買える値段だ。やむなく少し離れた登山専門店へ。そこではスペアーがちゃんと常備されていて、300円で新しいものに替えてくれた。不快な思いをするより専門店へ先に相談すべきだった。それにしても件のリフォーム屋さん、大手のチェーン店なのだが値段設定だけでなく納期もかなりヘン。ズボンのすそ上げに10日もかかったりする。もう行きたくないのだが、そうもいかない。昔の服を捨てられないのが原因だ。

(あ)

No.566

星座――屋久島の子どもたちの詩
山尾三省記念会編

屋久島に暮らした詩人の故・山尾三省さんを記念して2005年に創設された「オリオン三星賞」は「屋久島の子どもたちの豊かな感性を詩という形で表現してもらいたい」とはじまったもの。本書はその6冊目で、1344点の児童の詩の応募から編んだものだ。その昔、秋田で山尾三省さんの詩の朗読会があった。「あった」というのは正確ではない。小生がプロモーションした企画だったからだ。そこから三省さんとの縁ができた。しかしあまりに遠く離れすぎていた。秋田と鹿児島である。何度かお手紙のやり取りはあったものの、三省さんは2001年、天に召された。早すぎる死だった。いたずらに時は過ぎ2009年、屋久島の縄文杉を見てこよう、三省さんの墓参りをしてこよう、となぜか突然思いついた。三省さんが「聖老人」と名づけた縄文杉を見て、三省さんの家を訪ねた。出迎えてくれた奥さまは山形の出身で無明舎のことを知っていた。そこから話はとんとん拍子、奥さまである晴美さんと三省さんのコラボレーション原稿を、この秋田の地で『森の時間 海の時間』という書名で出版することになったのである。いま思っても何とも不思議な縁としか言いようがない。

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