Vol.578 11年12月10日 週刊あんばい一本勝負 No.571


本と山のまわりをウロウロ

12月3日 今日の朝日社会面のトップにはちょっと驚いた。「被災書店への支援は勇み足」という記事。「返本の損害、出版社に全額要請は〈違法〉」というのだ。私たちも何の深い考えもなしに返本を「承諾」していた。「支援」の気持ちに偽りはない。つもりだったが、公取委は取次側に撤回を指導したという。そうか、これが大手取次による独禁法の禁じる「優越的地位の乱用」にあたるのか。うかつだったなあ。普段偉そうなことを言っていても、そこまで頭が回らなかった。「支援」という甘い言葉には魔力がある。その「正義」にはだれも逆らえない。反省。

12月4日 日曜登山の予定だったが、天気予報は「雨」。中止を決める。だから、好きな日曜出勤です(笑)。日曜仕事で最も適している作業は「長考」だろう。ひとつのことをグダグダ、ネチネチとひたすら考え続ける。具体的に言うと本の企画だ。目の前の忙しさにかまけて、中長期的な企画立案を怠ってしまうのが常だ。それを丸一日、何にも邪魔されずじっくり考でることのできるいいチャンス。なのだが、これがけっこう雑用もあって、うまく長考ゾーンに身を浸すのが難しい。

12月5日 そろそろ「恒例ひとり委員会」が選ぶ「今年読んだベスト本」を決める季節だ。って勝手に一人で決めるだけなのだが、今年は何にするか悩んでいる。最近びっくりした本は『ふしぎなキリスト教』(橋爪大三郎×大澤真幸)、いま読んでるミステリー『二流小説家』(ディヴィド・ゴードン)はどこまで順位を上げられるか……などニヤニヤ楽しんでいる。前からほめ続けわが委員会では2,3年前トップワンに立ったこともある平安寿子『あなたがパラダイス』が、ここにきて急に売れ出し、文庫も好調らしい。ジュリーの追っかけおばさんたちの物語だ。新刊が出た当時の評価だったので、少し早かった。独りよがりの委員会だがまだ何が起こるか分からない。決まったら迷惑でしょうが紹介しますね。

12月6日 何の検証もなしに「格差社会の若者はかわいそうだ」と思っていた。どうやらそれは「妄信」の類らしい。古市憲寿『絶望の国の幸福な若者たち』には、現代の若者の生活満足度や幸福度は、様々な調査からここ40年で一番高いことがレポートされている。彼らにバブルの青春を謳歌した80年代や「ALWAYS」の世界への幻想はまったくない。不安もあるが、お金がなくとも工夫次第で「それなりの日々」を送れる今に、若者たちは満足しているという。私たち(祖父)はいま彼ら(孫)のクレジットカードを勝手に使い1億円近い負債を残して逃げしようとしている。これを「ワシワシ詐欺」というのだそうだ。なんだかひたすら申し訳ない気分にもなってくる。

12月7日 かなり確証の高い天気予報で、今週は今日(水)だけが雨の降らない日。そのため週末の予定を変えた。代休を取り山行を企てた。が、なんと朝からどしゃ降りではないか。天気予報はあてにできない。代休を取ったてまえ無理やり登ってきた。山頂は雪だった。雨のブナ林も風情があり、それなりに楽しい山行だった。冬山は寒いが、そのぶん温泉の楽しみが倍増する。午後2時には仕事場に帰還、もう仕事をしている。夜は毎月恒例のモモヒキーズの宴会がある。三梨牛のA5最高肉が手に入ったというので豪華に「すきやき」飲み会。その準備もホストの役目だ。ああぁ忙しい。

12月8日 読みたい本が積まれている。仕事も一段落したのになかなか本に手が伸びない。なぜ? 中途半端な時間しか取れないからだ。時間が許すなら温泉宿にでもこもって思うぞんぶん読書三昧したい。とは思うのだが、想像力の翼を広げると、結末までが見えてしまい、面倒くささが先に立つ。けっきょくは家で細切れの時間をつなぎ合わせ、「日常的」な読書をするのが最も効率的で健康的で経済的なことに答えは行きついてしまうのだ。年をとるというのは、こういうことなの?

12月9日 冬の通信(愛読者DM)は今日あたりから読者に届きはじめる。DMを見た方から注文が入りはじめると数日間は猫の手も借りたいほど忙しくなる。昔はこれが2,3週間続いたのだが、今は数日間でパタリと注文が途絶えてしまう。「忙しさ」の期間が年々短くなっているのだ。本は確実に衰退期に入っている。そのことを実感させられる日々でもある。クラシックの名曲を聴くのが高尚で贅沢な趣味といわれるように、読書も同じ領域に入ってきたのかもしれない。「知」を専門家だけの聖域にしてしまうのは、避けたい。 明日は男鹿・真山登山。これが今年最後の山行になるかもしれないなあ。
(あ)

No.571

小津安二郎日記
(講談社)
都築政昭

中野翠『小津ごのみ』は面白い本だった。映画も好きだが、この本で小津のことがもっと好きになった。そこで次にこの本を読み始めたのだが、この本も読ませ方(構成)が素晴らしくたちまち引き込まれてしまった。ようするに小津論なのだが、日記を読み説きながら作品解説をする、という単純な構成ではない。評論の全体を「憂い」「いのち」「親子」「人情」「家族」「しあわせ」「ものの哀れ」「男の背中」といった章に分け、そのテーマに沿って論を展開する。ここは中野の本も同じだ。小津の作品や人生の時系列からはまったく自由に、テーマを決め、そのテーマに沿って作品の印象批評をしながら小津個人の人生にも迫っていく。こういうスタンスが新鮮だったが、本書も中野の本とほぼ似たような構成で、より評伝的、深い取材努力の跡が見える。それにしても小津の映画はファンが多い。なぜ外国人もあの映画を好きになるのか、よくわからないところも多い。ある小説を読んでいたら小津映画ファンに対する痛烈な批判があった。「しみじみ感と上品と制限された動きで迫ってくる」のはちゃぶ台をひっくり返したくなる、と映画好きな登場人物に言わせているのだ。これも当たっているなあ。小津は幼児から大人になるための通過儀礼、と喝破した評論家もいた。

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