Vol.579 11年12月17日 週刊あんばい一本勝負 No.572


ハタハタ・師走・事務所宴会

12月10日 友人と2人で男鹿の真山登山。新雪を踏みしめて登る静かな雪山はとにかく気持ちがいい。雪山を怖がる人もいるが、意外な事に逆に登りやすい。初心者向きの登山である。山を下りてから、ハタハタが接岸しているとの噂を聞きつけ北浦港へ。が、まだ早かったようで漁師の姿はチラホラ。ハタハタ以外の水揚げがあった漁師に頼んで、ヒラメやイワシ、ヤリイカやメバル、コハダなどの小物を1000円で分けてもらう。事務所に帰って友人はたちどころに5品目ほどの魚料理を作ってくれた。いやはや実に鮮やかな包丁さばきで、うっとりと見とれてしまった。その包丁も、魚が小さいので「100均」で買ってきた安物。なのに、ほとんどの魚をさばき終わるのに1時間もかからなかった。こんなことができたら、かっこいいよなあ。

12月11日 さすが師走というべきか、事務所での宴会が連チャンである。シャチョー室は思い立ったら即宴会ができる。食材や料理用具がひととおりそろっているからだ。まずい飲食店のお世話にならなくなって、大助かり。困るのは宴の後の「匂い」。換気は十分にするが翌朝、仕事場にうっすら宴会の残り香が漂ってしまう。これまで特にひどかったのは「すきやき」。なぜかこの甘ったるい独特の匂いだけは、どんな換気をしても3日間消えなかった。どうしてなんだろう。逆に、食器や台所、テーブルは使えば使うほど磨かれてきれいになっていくから得した気分になる。面白いもんですね。

12月12日 ひとつのことを長くコツコツ続けることには、少しだけだが自信がある。同じ作業を延々と続ける単純作業も、嫌いではない。そのへんは自分の利点だと自惚れている。逆に弱点は、からっきしプレッシャーに弱いこと。ちょっとした「気がかり」があっても、そこに引っ張られ集中力が失せ、ウジウジと考え込んでしまう。小心者なのだ。それは母親を見ているとよくわかる。どんどん物事を悪く考えていく典型的な心配性で、ああ、これが俺の遺伝子なんだ、と何度か納得したことがある。これは治りませんな。

12月13日 昼の散歩の途中、大柄な妙齢の美女に話しかけられた。そばに寄られただけでドキドキするほどの美女だ。よく見たら昔エアロビ・ダンスのクラスで一緒の方だった。それだけのことだが、なんだか得した気分。そこでハタと気がついた。「被災地に元気をあたえたい」などという芸能人の思い上がりを冷笑していたのだが、あれもそれなりの「効果」はあったのだ。数分間、美女と話しただけで気分が高揚してしまった自分を客観視して、そんな風に思えてしまった。美しいとか、突出した技能を持っているとか、一流のスポーツ選手とか、他者を高揚させ、気分良く感じさせてくれる「才能」というのは、確か存在する。うらやましい。

12月14日 誰より早く朝一番に出舎する。コーヒーを淹れ、新聞を読み、メールをチェックしてブログを書き、週に1度は掃除機をかける。2時間ほどの、だれにも邪魔されない好きな時間帯だ。が最近このルーチンが乱れがち。義母の病院送迎やカミサンの私用に付き合わされ、家や家具備品の老朽化トラブル、業者、営業マンの来訪などが、その原因だ。人は年を取る。ものは老朽化する。穏やかで抑制のきいた質素な日常ですら板子一枚下は「危険」や「暗黒」や「不安」が海のように満ちている。あたりまえの日々を送れることに感謝しなければならない年になったということか。

12月15日 女優の檀れいが、うわっぱりを空中に放り投げ、袖を通すビールのテレビCMをみて「オッ、フランキー堺か」などとつぶやくご同輩は、もういないか。あれは名作・川島雄三監督『幕末太陽傳』でフランキー堺が何度もやるトレードマークだ。浴衣でも羽織でも合羽でも空中に放り投げ、さっと袖を通す。もう50年前も映画だが、石原裕次郎や小林明が、小沢昭一や殿山泰司、二谷英明等の共演者に比べ、いかに「大根」かが一目でわかる映画でもある。南田洋子が最も美しい時代の主演映画といってもいい。品川女郎屋宿の舞台裏と幕末の志士たちの関係も面白い。
(あ)

No.572

こぶしの上のダルマ
(文藝春秋)
南木佳士

またしても南木さんの本である。申し訳ない。いや、謝る筋合のことではないか。しばらく新刊が出ていないと、まるで禁断症状が出たようにこの著者の本が読みたくなる。書かれていることはいつも同じ。父親のことであり、医学生時代であり自分の病気のこと、そして山登りのこと。生れた村や病院の話から家族や猫の話、育ての親の祖母のこと……こうした事柄から著者のテーマは一歩も出ることはない。ないのだが、なぜかその同じ話をこちらはまた読みたくなるのだから不思議と言えば不思議だ。そして読むと決まって感動する。知っている、いつもの話なのに、なぜか毎回、「じんわりと確実に」深い感動に引き込まれてしまう。南木の本を読んでいて思う。書くテーマの引き出しが多くあること、読者に向けて本を書くこと、こうしたことがプロ作家の必須条件であるのは間違いないが、この著者に関しては当てはまらない。特別に抑制のきいた静かで深いスト―リーテラーなのだ。本書は2005年に出た本である。新刊はすべて目を通しているのに、この本を読まなかったのは、特別に意味があるわけではない。たぶん箱入りのだったことと関係があるのかもしれない。

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