Vol.580 11年12月24日 週刊あんばい一本勝負 No.573


不調と冬至とパーティと

12月18日 散歩の途中、2人の老婆に声をかけられた。軽自動車のライトがつきっぱなしなので消してほしい、という。運転手のおじいちゃんは、どこかへ出かけて帰ってこないという。オートマチックではない古い軽自動車で、操作がよくわからない。とりあえずドアを開け、乗らずに外からキーをさしこむとボンッと突然車が走り出した。あわててサイドブレーキを引いたが、5メートルほど走り、道路の乗り出し隣の家の塀の直前で止まった。冷や汗が出た。これで事故が起きれば責任は私だ。つくづく余計なおせっかいを反省。でも無碍に断ったら後味悪かったろうし……。

12月19日 あいもかわらず週末は雪山。五城目町の森山は里山だが鎖場の連続でほとんどアドベンチャーコース。汗だくだくで温泉は大潟村「ボルダー潟の湯」。設備も泉質も申し分ない。身体があったまり隣の食堂でラーメン。が、塩素の臭いでラーメンの味がわからない。わが全身からあのハイター臭が立ちのぼってくる。友人も「これぁひどい」と自らの体臭に鼻をしかめる。フロントにそのことをやんわりと抗議すると、言われ慣れてるのか「あっそうですか、係に言っておきます」と木で鼻をくくった対応。県内の温泉はほとんど入湯しているが、これだけ塩素まみれの温泉は初めてだ。

12月20日 仕事も一段落したし、山ももう今年は無理。夜はビデオ映画を見て寝床に早めに入り本を読む。このところ松岡正剛「連塾」シリーズに夢中。そういえば邦画でも面白いのがあったなあ。何気なくレンタルした「アフタースクール」。エンディングのキャステング・ロール(っていうのかしら)の出演者名にまで仕掛けがある。それが終わると最後の種明かしがワンシーン挿入され、ジエンドになる。キャステングの字幕が終わる前に消してしまうと肝心の物語の「キモ」がわからなくなる、という凝ったつくり。最後にキャステング(俳優の名前)を明かすのは、その順番をみて誰が主役かわかってしまうからだ。主役が誰なのか、それが物語の謎を解く「カギ」なのである。

12月21日 夜は事務所の片づけで4時間ほど集中。カミさんが風邪気味なので家でうつされるよりはと、事務所での仕事だったのだが、寝る直前に吐き気がして眠られなくなった。カミサンと同じ症状だ。カミさんは義母からうつされた。熱もないし寒気もない。ただただムカついて吐き気がする。夜はまったく眠られなかった。そのため今朝の出舎は10時。リンゴ一個食べただけ。今夜は南米の研修生、留学生3名を招いて事務所パーティ。シェフのSさんや気のきくFさんが参加してくれるので、おれはグッタリしても大丈夫だろう。

12月22日 昨夜のパーティは予想通り酒も肴も一切口にできず、ソファーにぐったりしながら、みんなの楽しそうな会話を聞いていた。お開きになる寸前から身体が動くようになり食欲も出てきたが、時すでに遅し。夜は昨夜の分もぐっすり眠れた。この1日半の「だるさ」はなんだったんだろう。昨日はリンゴ1個しか口にしていない。若いころならそれを取り戻そうと暴飲暴食に走っただろうが、ジジイの今はそうはいかない。まだ仕事に立ち向かう気力が湧いてこないのをみても完全復調には遠い。ゆっくり復調にむかって身体を慣らしていくよりない。

12月23日 今日も吹雪。かすかな希望は冬至を超えたこと。太陽の南中高度が最も低く、昼間が最も短いといわれる12月22日は雪国に住む私たちの「希望のメルクマール」。午後4時には暗くなってしまう日々が、昨日を境に逆転、昼が徐々に長くなっていく。明るさに向かって時間が過ぎていく。こんな単純なことがうれしい。暦上だけのことかもしれないが、こうした希望でもなければ、この寒さと暗さと寂しさには耐えられない。冬至のおかげで、冬なんてあっという間さと強がりを言うことができる。

12月24日 もともと地盤のいい場所ではないのだが、大きな車が通るたび事務所2階のわがシャチョー室は地震のように揺れる。特にひどいのが冬だ。冬になると揺れがひどくなる。雪と関係があるのだろうか、とボンヤリ考えていたのだが、友人が「道路斜面に雪の凸凹ができるため」と解説してくれた。道路の凹凸で振動が倍加するのだそうだ。そうか、そうだったのか。何にも知らないまま年を取ってしまったなあ。今日は朝から新しい車が来ることになっている。車に興味はない。いろんな手続きが発生しそうなことが、うっとうしい。
(あ)

No.573

希望は絶望のど真ん中に
(岩波新書)
むのたけじ

このタイミングでこの書名。とうぜん東日本大震災関連の本と思われた読者も多いだろうが、震災について触れた記述は1ページに満たない。著者にとって重要なことは「人類の歩みを農耕と戦争の二つを軸に見つめなおす」こと以外にない。敗戦の日、朝日新聞記者を「戦争責任」をとって辞め、1948年、郷里である秋田県横手に帰り「週刊たいまつ」を刊行する。「自分の身を燃やして、この時制に自分たちの朝を産む」ために命名されたものだ。以来、この週刊新聞は30年間続くことになるが、このときから96歳になったいままで、老ジャーナリストの時間軸はほとんど動いていない。
著者はこれまで4000回を超す講演をこなしてきた。筆者も何度か聴いたことがある。そのエキスが本書には詰まっている。著者のパフォーマンスは圧巻だ。身ぶり手ぶりの過激なアジテーションで聴衆を挑発する。その雰囲気は本書の文体にも生きている。少々筋立ては荒っぽいが、あの駆け抜けていくような講演のライブ感を「紙」で再現するためには、やむをえなかったのかもしれない。反骨のジャーナリスト、いまだ健在である。
(本稿は日本農業新聞の書評として書かれたものの抜粋であることをお断りしておきます)

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