Vol.601 12年5月26日 週刊あんばい一本勝負 No.594


山菜テンプラで蕎麦を打つ

5月19日 フェイスブックが上場。企業価値を示す時価総額は8兆3千億円だそうだフェイスブックを自分でやってみて初めて分かったのだが、これはプライバシー保護上、かなり問題がある。なにせ実名、顔写真、略歴付。「なかよしクラブ」の回覧板なら問題ないのだがが、逆にブログのような「枠」がない分、言葉が一人歩きする危険性に満ちている。このツールは世界の大きな「抗えない流れ」なのか、それとも過渡的な流行にすぎないのか、そこまではよくわからない。GMの広告出稿取りやめや株価の暴落、アメリカの利用者の半分以上がフェイスブックを信用していない、という調査結果も合わせて読むと、その「危うさ」にはかなりのリアリティがある。

5月20日 今年一番の快晴、と言って見たくなる青空。朝6時から町内のドブ掃除。町内一の「若手労働力」なので、側溝ブロック揚げという力仕事が小生の受け持ちだ。一汗かいた後、そのまま刈和野の黒森山へ。山歩きというよりワラビ採り。夜はその山菜でいっぱいやる予定。とにもかくにも、こう天気がいいとそれだけで気分がいい。明日あたり、ドブ掃除の影響で、ふだん使わない腕の筋肉がパンパンに張っていそうだ。身体を動かす、汗をかく、何も考えない。日が照っている、緑が濃い、空気がうまい。これがすべて。

5月21日 この時期、秋田のスーパーやコンビニでは「タンサン」や「重曹」の袋が山積みで売られている。秋田の人たちにとっては当たり前の光景で、誰も疑問に思ったりはしない。が、他県の人たちから見れば「なに? これ」と思うにちがいない。炭酸水素ナトリウムは山菜のあく抜き必需品である。ワラビやぜんまい、ふきなどのシーズンには欠かせ「食品」なのである。それにしても、この年になってコンビニで「重曹」を買うというのは人生の設計の中にはなかったなぁ。熱湯にワラビを浸し、重曹を入れて一晩置く。これで完成だが、山菜でやる一杯というのは至福の時間だ。天ぷらもいいぞぉ。

5月22日 山の四阿でデジカメを拾った。念のため画像を確認すると、登る途中すれ違った母娘と小学生の三人連れ。ふもとの温泉に遺失届が出ている可能性もあるので、持って帰るが届は出ていなかった。しょうがないので家に持ち帰って近所の交番に。山仲間は「地元紙に画像を送れば掲載して探してくれる」というが、いくらなんでも個人情報を勝手に使うのは問題だろう。仲間でもっとも「常識の持ち主」であるS君に電話で相談すると、「掲載はまずい。交番に届けるのがベター」とのこと。そうだよな。これで落とし主が見つからないとデジカメは自動的に私のものになるらしい。ちっともうれしくない。早く落とし主が見つかってほしい。

5月23日 昨晩は就職が内定した友人の学生(秋大新聞部)のお祝いの飲み会。ひさしぶりに二日酔い。その帰りのタクシーで、ずっと「名前を思い出せなかった友人」の正体が、とつぜんわかった。スポーツクラブでよく顔を合わせた若者だった。でもよく考えたら、顔なじみではあったが、もともと名前も職業も年齢も知らなかった。これじゃ思いだすのに時間がかかるわけだ。日本人初の8千メートル級高峰の世界14座全登頂をめざす竹内洋岳のアタックはここ数日に迫っているようだ。読売新聞がスポンサーなので、読売を読んでいないと彼の動向はわからない。プロレスの試合じゃないんだから他紙も報道してほしい。ダウラギリ登頂に成功すれば他紙も報じてくれると思うが、最近の新聞の質の劣化は著しいから少し不安でもある。

5月24日 シャチョー室の西陽対策用2重窓が効を奏し、暑くなってもずいぶん過ごしやすい。今頃の季節は窓を開け放って風を入れる。これがまた昼寝にはベストな心地よさ。昔は熱が部屋にこもり昼寝どころではなかった。冷房のお世話になるまでの間、この心地よい風と昼寝を楽しめるのはうれしい。部屋にはウールのベストが用意してある。長く風に当たっていると身体から体温が奪われ、寒くなってしまうからだ。年のせいもあるのだろうが、山歩きのせいでとにかく体温調整には敏感になった。上は半そで、下はモモヒキなんていう、意味のわからないいでたちの時もある。もうなんでもありだ。

5月25日 山菜のテンプラがあまりにうまいので、十数年ぶりに蕎麦を打ってみようという気になった。本末転倒、である。2,3日前から準備して倉庫からほこりをかぶった蕎麦打ち道具を出し蕎麦粉を注文。昨日、Sシェフの指導のもと何とか食えるものを打つことができた。で、やっぱりメインは山菜テンプラで、それを美味しく食べるための演出としての蕎麦である。というわけで「本末転倒」だが、これから主役は徐々に蕎麦に移っていく予定だ。前は独学で、ビデオで覚えた蕎麦打ちだったが、やはり先生がいると技術は格段にうまくなる、ような気がする。
(あ)

No.594

ステーキ!
(中央公論社)
マーク・シャツカー・野口深雪訳

テーマは申し分ない。「牛」の文化に興味があるからだ。牛は古代日本では特別な意味を持っていた。貴族たちの乗り物だったし、その屠殺にかかわる「穢れ」が差別を生み出してきた。牛は人間社会の中の、もっとも巨大な動物=「異形なもの」として特別な意味を賦与されてきた動物なのだ。これは内田樹の説だが、牛飼いたちを「童子」というのは「神の子」という意味だそうだ。英語でも牛飼いは「カウボーイ」で、「カウメン」とは言わない。大人でも、神の少年なのだ。人間にとって牛が特別な存在だったことを証明する逸話だ。が、本書ではそうした「動物」としての牛にはほとんど触れられていない。ただひたすら世界各国のビーフを食べ歩くだけ。それも正直なところほとんど深みのないグルメレポートで、がっかり。ま、そういう趣旨の本なので、著者を責めるのは酷というものだろう。日本の章を見ても、飛行機を降りてホテルに着くまでひたすら「缶コーヒー」の味の良さに驚いている。これじゃ、しょうがないよね。このところ内澤旬子の本などで、動物を殺して食べることのあれこれを考えていることもあって、本書は物足らなかった。

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