Vol.603 12年6月9日 週刊あんばい一本勝負 No.596


「屈辱の金曜」からストレッチの日々

6月2日 太平山のけいれんリタイがショックで、昨夜から早速ストレッチと筋トレを再開。なんだか自分の体に「力を貯金」している、いい気分になる。それにしても人生なにが幸いするかわからない。自分のふがいなさを金曜日の太平山で付きつけられ、まったく行く気のなかった6月末の谷川岳登山に挑戦する気になった。近場の、背伸びしない山々で満足していたのだが、敗北感が挑戦に火をつけてくれた。毎日欠かさず筋トレをやるゾ! 誰も飲みになんか誘うなよ!

6月3日 40年近く、同じような仕事をエンエンと繰り返してきた。だいぶくたびれてきた。時々、いつさぼっても休んでも誰にも文句を言われないのに、どうしてこうも律儀に出舎し、8時間以上仕事し、かててくわえて週末まで仕事をするんだろう、と考えることもある。まあフリーランスのような立場の経営者に近いから、仕事がないと干上がってしまう、という恐怖感なのだろう。これが習い性になってしまったのだ。引退を考えたこともある。しあkしリタイアするには仕事のダウンサイジングが必要だ。これがなかなか厄介な問題を含んでいて、そう簡単ではない。そんなわけで今週も仕事三昧の日々。おそまつ。

6月4日 寝室に入るともっぱらギターのゴンチチを聴いている。映画「歩いても 歩いても」のサウンド・トラック版CDだが他にも3枚ほど彼らのアルバムを持っている。フランス映画「PARIS」でサティの音楽が効果的に使われているのを観て、そういえばゴンチチの音楽も日本映画には映えるし、よく映画音楽に使われていることに気がついた。ひとり勝手に「日本のサティのよう」と思って聴いている。彼らのNHK・FM番組も大好きだったが(関西弁のイメージを変えてくれた)、最近聴かない。もしかして番組がなくなったのかな。

6月5日 「屈辱の金曜日」以降、ストレッチと筋トレの日日だ。日々と言ってもまだ4日目だが。散歩の途中、歩きながら上半身ストレッチ。途中の公園に着くと下半身ストレッチととスクワット50回。散歩(5キロ)終了後は事務所でヨガマットを敷いて、ねじり系ストレッチ、腕立て、腹筋を各50回。これで約2時間。日課と言うには少し重いのだが月末の谷川岳までは歯を食いしばってやり遂げたい。ストレッチしていて感じるのは左半身の硬さ。脳卒中で半身まひになったような「血の通わない」イメージが左半身にある。ほっておくとこちら側が麻痺してしまうような恐怖がある。左右バランスのとれた身体が、いまのところの目標だ。

6月6日 万年筆による手の汚れや、フェイスブックの「利用解除」について、けっこうその後もウジウジ、誰にも相談できずに悩んでいた。ところが最近グーグルでそうした悩みを検索すると、ほぼ100パーセント「適切な回答」が載っているのを知った。ちなみに万年筆のインクの汚れは「万年筆を立てずに横に保管すること」。同じようなことに悩んだり、トラブルを抱えている人が多いのだろう。生活上のトラブルのほとんどは(人生相談でない限り)ネット上に回答がある。こんなにコンビニエンスなものは、逆にオジン特有の性(サガ)で、疑ってかかる貧乏性なのだが、本音を言えば、この便利さにははまる。

6月7日 もう2年近く同じ時計を腕に巻いている。4つある時計を交互に気分によって変えていたころからみれば異様な長さだ。手巻きのリューズ時計で中古で買ったもので、たぶん半世紀以上前につくられたものだろう。この時計を着けてから自分の中に「大きな不幸」がない。そこで験を担いでいるのだが、一昨日盤面が水蒸気で曇りだした。手洗いの時の水が入ったのだろう。時計屋に持っていくと修理に一週間、料金は2万円とのこと。着け始めた時にもリペア代として3万円かかったはずだ。はてさて、どうしたものか。金額と我が未来を照らし合わせ、もうしばらくこの時計のお世話になることみした。験を担いだりしないほうだと思っていたが、この時計にはなんだか捨てがたい風情がある。良い時計なのに目だたない。地味なのに華がある。質素なのにシック、って褒めすぎか。
(あ)

No.596

生きるコント
(文春文庫)
大宮エリー

NHKの深夜のあるコント番組がやけに面白くて、はまっていたことがあった。この構成作家が、実は著者本人だった。アホっぽいキャラクターで、クイズ番組に出たりしているのも観たが、著者の素性はほとんど知らなかった。才能がある人なんだろうな、ということだけは分ったが、東大卒の経歴の持ち主で、そのことのギャップも本人はキャラクターの一部にして「笑い」をとっている人だった。本書で、のっけから大学の試験がいやでブラジル・リオに旅行に行ったことが書かれている。これにはのけぞった。リオは解放的なリゾート都市で、多くの人が海岸沿いの街中を水着姿のままで歩いている。それは事実なのだが、著者はそこで自分も水着でバスにまで乗ってしまう。もちろん乗客はドン引き。あろうことか彼女は夜の外出もその水着のまま、でかけてしまうのだ。女性の夜のひとり歩きなど論外である。地元の人ですら夜の女性のひとり外出はあり得ない世界一危険な街。それを大和なでしこが半裸で駆け抜ける。これが面白くないわけはない。何が面白くて、何がつまらないか、著者はよくわかって書いているのである。

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