Vol.604 12年6月16日 週刊あんばい一本勝負 No.597


それにしても朝シャワーは気持ちいい

6月8日 「スパムメール」の多さには閉口。かといってかたっぱしからアドレスを「受信拒否リスト」に放り込むのも問題がある。リストに放り込んでいるうち、なぜか自分の個人アドレスもリストに紛れ込んでしまうケースが多いからだ。拒否リストに入れた後は、自分のアドレスも拒否リストにまちがって登録されていないか、しょっちゅうチェックをする羽目になる。先日もある重要な数件のメールが、私のパソコンにだけに入っていなかった。それをメインのPCで発見、一週間遅れでお詫びの返事を出した。取り返しのつかない事態になるところだった。スパムメールが何のためにこうも横行するのか、よくわからないが、こんなことをやっている連中はつまらない人生だなあ、と余計なお世話だろうが、思う。

6月9日 定番になりつつある週末の「料理教室」。昨日はSシェフが来てくださり、魚のさばき方を教えてくれた。アジの開きや3枚下ろし、カレイの5枚下ろしに干物、タイをさばいてムニュエルにまで挑戦。身欠きにしんの山菜煮、なんてものまで作った。ちゃんとメモをとって忘れないようにしなくっちゃ。しかし念願のさばき方がうまくなっても「食べ方」がヘタ、という大問題を抱えている。小さなころから魚より肉派、とにかくきれいに魚を食べられない。これがすごいコンプレックスで、しかもこれだけは習ったところで一朝一夕にはうまくいかない。グーグルにでも回答が書いてないかなあ。

6月10日 ストレッチ&筋トレは続いている。心なしか身体が引き締まって軽く……はなっていないか。どんなに予定が立て込んでいても「やる」と決めた。一日の暮らしの優先順位のトップ事項だ。こう決めると、仕事はむろん、映画や本や料理や散歩の時間のどこかを削らざるをえなくなる。特に夜は観たい映画や読みたい本がびっしりだ。さらにテレビのスポーツ中継も外せない。いきおい時間との勝負になってしまう。筋トレ後のご褒美は「森永ミルクアイス」。この氷菓のために頑張っているようなもんだ。

6月11日 ストレッチ&筋トレを優遇するあまり、いろんな不具合が生じてきた。〈やらないとだめ〉という義務感というかプレッシャーが強くなる一方で、それが終わるまで他のことが手に着かない。いくらなんでもこれはマズイ。そこで一念発起、早起き(5時半)して、散歩、ストレッチ、筋トレを一挙にかたづけてしまうことに。最初からこうすればよかったのだが、なにせ宵っ張りで、めっぽう朝に弱い。でも山行ではいつも5時起き。やればできるはず。そう自分に言い聞かせて、今日から散歩&ストレッチは朝に変更。汗だくになって浴びる朝のシャワーが気持いい。そうかシャワーのことまでは考えていなかった。山行後の温泉と似た快感。これはもしかしたらはまるかも。

6月12日  お世話になった人に贈る品物選びにいつも四苦八苦。このごろはあきらめて(アイデアが浮かばないので)、図書券でお茶を濁している。図書券じゃいくらなんでも味気ない、となったらカミさんに相談。こういうことに関しては圧倒的に女性の専権事項だ。やつらはだてにショッピングやランチのおしゃべりをしているわけではない。「プレゼント向きの小物類や食品」についての情報は詳細で潤沢だ。できれば自分がもらいたいと思っているのだから、まずはずれはない。というわけで、いつもカミサン頼みなのだが、こうなると、ちょっと秘密にしたい関係のほうの贈り物は処置なし。プレゼントぐらい自分で選べる男になりたい。

6月13日 時代小説に詳しくはないのだが、明智光秀が織田信長を殺した「本能寺の変」は知っている。知っているが、なぜ光秀が信長を殺さなければならなかったのか、理由は知らなかった。山本兼一の新刊『信長死すべし』では、信長を殺したのは帝の「正親町方仁(おおぎまちみちひと)」の勅命だったことが明らかにされている。戦国時代、武家の大将と朝廷がどのような関係だったのか、この小説でよくわかった。江戸時代の徳川と天皇の関係も基本的には似たようなものだったのだろう。信長は帝を「占い師の棟梁みたいなもん」と小馬鹿にしている。この男が天下をとっていたら日本はどうなっていただろうか、と考えると楽しい。歴史小説にドンドンはまっていきそうな自分が怖い。

6月14日 先日、黒森山で拾ったデジカメの落とし主が見つかった。警察経由で電話をもらって礼を言われたが、ここまで4週間近くかかったのは、警察に遺失物届を出していなかった、ということなのかな。そこを訊くのを忘れた。他にも、数十年ぶりの珍客はあるは、引っかかっていた本が動き始めるは、朝トレのおかげで生活リズムが激変するは……と、なにかと身辺にザワザワと風が吹き始めている。穏やかで滑らかな日常に不満はないのだが、いろんなことが起きそうな予感のする日々というのも、悪くない。
(あ)

No.597


(秋田文化出版社)
藤田秀司

本書によれば、もともと馬は農家の労働力や食用として飼育されてきたわけではない、のだそうだ。このこと自体を知らなかった。古代から馬は支配者(権力者)の乗り物であり、戦争(軍馬)にとって欠かせないもの。牛より駄載能力がすぐれ物資の輸送や古代律令制下の交通制度(駅馬と伝馬)でも、馬は重宝された。平泉の藤原3代の財力を支えたのも金(きん)と馬だし、江戸時代の各藩も馬政には力を注いだ。南部や津軽、秋田といった北東北が馬産に熱心だったのは土地が広く気候風土が適していたからだ。明治、大正期に来県した皇族にはきまって献上品として馬が贈られている。馬は農民にとって土地に次ぐ財産であり、蓄財の有力な手段でもあったのだ。と同時に細心の注意と愛情がなければ飼いならせない、同じ屋根の下に住む「家族」でもあった。秋田の暮らしの中に馬にちなんだ名前が多いのは、こうした歴史的な背景によるものだ。ちなみに「駒」というのは「仔馬」から派生した言葉で、これも馬と同義である。意外な事だが、農耕馬として使われだしたのは江戸後期からだそうだ。それも本格的に農耕の主役となっていくのは田んぼの改良が進んだ大正期。これも昭和40年代には耕運機やトラクターの登場で、馬は田んぼから姿を消すことになる。わずか半世紀ほどの命だったのだ。ためになる本だ。

このページの初めに戻る↑


backnumber
●vol.600 5月19日号  ●vol.601 5月26日号  ●vol.602 6月2日号  ●vol.603 6月9日号 
上記以前の号はアドレス欄のURLの数字部分を直接ご変更下さい。

Topへ