Vol.611 12年8月4日 週刊あんばい一本勝負 No.604


猛暑・羽アリ・オリンピック

7月27日 恐れていた羽アリが出た。事務所の応接室の窓付近で大量に(といってもまだ10数匹)わき出していた。悪夢だ。7,8年前、2階で仕事をしていたら、横の窓から突然羽のある虫が噴き出してきて驚いた。正面の壁がほぼ全滅で羽アリに喰われていて、全面改修工事を余儀なくされた。150万円以上の損害だったことを鮮明に覚えている。またその再来なのか。今度は正面ではなく建物の背面。業者に診断してもらうのは月曜日になるが、さすがに昨夜は眠られなかった。今日はこれから真昼岳登山なのだが、心配事を背負っての山登りはキツイなあ。

7月28日 蒸し暑いッ、こんなの最近ないなあ。昨日の真昼岳はよかった。ここがもしかしたら秋田県で一番好きな山かも。とにかくブナ林が美しい。「ブナ美人 真昼岳」なんて陳腐なコピーを考えてしまった。2時間近く若々しいブナ林の中を堪能できる山なんて、他にある? 昨日はモモヒキーズの長老Aさんが半月板損傷から久々の復帰。夢中でミズをとっていたから、もう問題はないだろう。モモヒキーズの活動も8月からは本格化しそうだ。昨夜はAさんの復帰祝いも兼ねて山王に繰り出し(駅前居酒屋はすべて満杯)、たらふく酒を飲んでしまった。

7月29日 もう夏休みに入ったのかな? 久しぶりに駅構内にいったらラフな半裸状態(半パンにランニング)の旅親父たちをたくさん見かけた。だらしなくて暑苦しい。似合わないから中高年の半ズボンは鬼門だ。村上春樹に『レーダーホーゼン』という短編小説がある。書名はドイツの皮製半ズボンのこと。これを夫のために買いにいった妻が突然、その半ズボンの店で夫との離婚を決めてしまう、という物語だ。村上春樹のいい読者ではないが、この短編だけは大好きで、今もときどき読み返す。日本では大人は半ズボンで外出禁止、ということにしたらどうだろう。

7月31日 最近学生と付き合っているのだが、正直なところ、みんな同じ顔に見えて困っている。学食で知り合いの学生を探すのだが、みんなそれらしく見えて声を掛けそうになったり、迷ったり。若者との付き合いがないので「若者顔」に慣れていないのだ。逆に彼ら若者にとっても、60歳を過ぎたジジの顔もほとんど同じに見えているのだろう。若者の中にいると年寄りは目立つが、老人会の中に紛れ込んだ私を発見するのは彼らにも難しいはずだ。年寄りだってみんな同じ顔に見える、と反論されそうだが、今日は近所の回転ずし屋さんで、彼らの大学新聞完成祝いの飲み会だ。

8月1日 8月になった。もう2週間も経てば涼しい風が吹いてくる…かも。7月は、なんだか不思議な日々で、これまでのどの年とも違った。毎日5時半に起き、2時間の筋トレ&ストレッチ散歩を休むことなく続けた。暑くてひるんだ日もあったが朝シャワーの気持ちよさを知ったからにはやめられない。本の注文が極端に少なかった月でもあった。毎日かなりの数の注文を宅配便で出しているのだが、その数がいつもの半分以下。これが年中続いたら立ち行かなくなる。暑いこの時期だけ特有の現象と思いたい。それとも、本の世界は本格的に「衰退」から「没落」局面に突入したのだろうか。

8月2日 オリンピックが始まると夜遅くまでテレビ漬け。その結果、この2ヶ月間の早朝トレ散歩の習慣が崩れてしまう。と心配していのだが、オリンピックは次の日にいやになるほど再現ビデオが流される。わざわざ夜中に観る必要はないことに気がついた。こちとら観たいと思えば日中いつでもテレビを観られる立場だ。そんなわけでオリンピック期間中も朝トレ優先、夜10時前就眠の普段通りの生活を続けている。睡眠の友はチャンドラー『ロング・グッドバイ』。村上春樹訳だ。そのボリュームから読了に1週間はかかる活字量だが、あまりのおもしろさにページ数を稼ぎまくり。これじゃ次の本候補を早めに決め、唾をつけておく必要がでてきた。
(あ)

No.604

ボールのようなことば。
(ほぼ日文庫)
糸井重里

唐突ですが、谷川俊太郎に次ぐ「国民的詩人」は糸井重里ではないか、と一人勝手に思っている。また、永六輔さんのような「時代のマルチタレント」は、彼の後には糸井重里をおいていないのではないか、とも思っている。ファンというのとは違う。同時代に生まれたたぐいまれな才能への敬意、といったほうが近い。彼は間違っても人の悪口を言わない。自分が正しいことをしている、ということに対して100パーセント懐疑的だ。他者をベタほめすることは少なくないが、自分をベタほめすることは、ない。政治に絶対といっていいほど口を出さない。こざかしい社会批判をしない。既成の言葉や常識を常に疑っている……彼が毎日更新している「ほぼ日刊いとい新聞」のコラムを読んでいると、そんなことを感じる。ネットは危険な媒体でもある。フェイスブックやツイッターを崇める人も多いが、人の発言に一喜一憂する人生はつまらない。ここが原点だ。でも「ほぼ日」だけは毎日チェックする。糸井の言葉は時代の言葉であると同時に、もう日本にいなくなった「詩人の言葉」でもある。何回も使用可能な「武器になる言葉」でもある。こうしたものが無料で読めるようになったのがネットの功徳だ。いいものはいい、悪いものは無視をする。その境界に強靭な意志で線を引いている。言葉が知恵と力を持っている。

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